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春――
それは始まりの季節である。        
春――
それは出会いの季節である。
春――
それは恋の季節である。
春――
それは何かを始めたくなる季節である。
春――
それは以下略。
始まりの季節であり、出会いの季節であり、恋の季節であり、何かを始めたくなる季節。
まぁ、つまるところ、一言で表すならば、何が言いたいのかと言えば。
春とは――
入学式のことである。


偉い人は言った。
春にすべてが決まる。
奇跡の生還を遂げた人は言った。
私の命があるのは春のおかげです。
俺のおじさんが言っていた。
春だからなぁ……。
それだけ春というものは人間の生活と関わり合いが深いのだ。
いつかの俺は言った。
春だ。
今朝の俺は言った。
「今日から高校生か……」







日傘同好会






@月曜日  入学式

  体育館に押し込められ監禁だか軟禁だかよくわからないが取り合えず立ち上がることさえも禁止されている今現在。今日から三年間をこの学校で過ごす新入生の一人として、ただひたすらに床板を睨み付けていた。どこに顔を向けていいのか分からないからだ。 国歌斉唱、顔も名前も知らない新入生総代の言葉、これから世話になる先生たちのありがたいお言葉、聞いたこともない校歌斉唱、そして先輩たちに見送られての退場。時間にしたら短い時間であっただろうが、感情と時間反比例の法則により死ぬほど長い時間に感じられた入学式がやっと終わった。 そんな入学式が終わったあと、最初に迎えるのが、高校生活最大の関門、友達作りだ。 今日どれだけ好印象を与えて一日を終えられるかが、今後の学校生活すべてを決めるのだから気を抜いてはいられない。できれば超おとなしい美少女とお知り合いになったり、いろいろとすごい生徒会長さんに気に入られたり、妖艶な雰囲気を醸し出しているキャバ嬢みたいな美人教師と放課後の個人レッスンとかしたい。のだが。 ここは俺の家にいちばん近い高校。中学校生活三年間夢のない男ランキング不動の一位である俺にとっては進路決めの際真っ先に浮かぶ高校であったのは否定できない悲しい事実。結局そのまま何の夢も見つからないまま俺はここの学校を目標に適当に頑張って適当に入学した。ちなみに夢のない男ランキングとは名ばかりで同率一位が百人以上いるインチキランキングだった。 そんなことはどうでもいい。つまりは、何が言いたいのかというと。この学校で新しい出会いを求めるにはいささか顔見知りが多すぎるということなのだ。ここでまだ引き返せる奴には教えておこう。出会いや新しい生活を求めるならば駅二つ……いや三つは越えろ。 夢のないつまらない人間は結局進路を決定する時に通学時間を一番に考え、自分の置かれている現状の悲惨さに直面した時にやっと後悔する羽目になる。ここに入学した八割強はそのたぐいだ。当然俺もその八割の中に含まれている――と言いたいところだが、俺は少し違う。入学後に後悔するなんてことしない。俺のように潔く生きている人間は嫌なことを後回しにしない。後悔ならば三か月前に済ませておいた。 そんなわけで、俺は今体育館から帰ってきた自分の席で安易な進路決定した半年前の俺をぶん殴る方法を必死に考えているのだった。 そんな俺に誰かが近づいてきた。 「ちょっとちょっと。入学早々暗い顔しないでよ。こっちまで暗い気持ちになっちゃうでしょう」 同じ中学の女子だ。まあ入学初日に違う中学のやつに話しかけるようなアグレッシブな人間あんまりいないよな。 「いったいどんなエロいことを考えてたのよ」 「タイムマシンの理論を考えてた。お前も一緒に考えるか?」 「いやよ。それにしてもまた同じクラスになるとは、神様を恨むわ」 本当に嫌そうに肩をすくめる同級生。 それはこっちのセリフだとのど元まで出てきたのだがぐっと堪える。 中学三年間どころか小学校の六年間もクラスメイトだった。そこまでならまだ我慢できるのだが、この世に生まれ落ちた時からクラスメイトときているわけでありまして国レベルで俺をはめようとしている可能性もそろそろ考えなくてはならない。 「やっぱり中学校に近いだけあって顔ぶれもあまり変わらないな」 「そうね。通ってた小学校も近いし、結局十二年間通学路に大した変化なし、少し悲しい事かもしれないわね。あーあ。チャリ通とか、憧れてたのにな」 「みんなそう思うよな。中三の時のクラスメートがちらほら見えるからあんまり新しい気分にはなれないよな」 このクラスでの運命的な出会いは絶望的だ。つまり、これでもう今年の春は出会いの季節ではなくなったということだ。唯一可能性の残ったボイン先生に期待するしかない。しかし聞いたところによると、ボイン先生などはこの世に存在しないということらしい。全世界の学校を訪れこの目で確認するまでそんな噂信じないが、入学式の時に体育館に集まっていた教師陣を見る限り影も形もボインも無かったのでこの学校では未確認ボイン先生(UBT)は見つからないだろう。 「でもさ」 目の前の女子が言う。 「半分は知らない顔でしょ? 十分新しい気持ちにはなれると思うけど」 「まあ……そうかもな」 百八十度ほどあたりを見渡してみる。やっぱり見知った顔が多く目に入った。 「あ、先生が来たぞ」 俺たちのクラスを受け持つのは中年女教師のようだ。なんか厳しそうでいやだなぁ。 各々思いの場所に散っていたクラスメイト達が担任の入室により出席番号順に指定された自分の席に綺麗に座る。その様子を見守っていた中年教師が、教室内本来の落ち着きを取り戻したと同時に自己紹介を始めた。 「私はこれから一年間みなさんを担当することになったハラダです。担当教科は英語です。趣味は――」 休日の過ごし方やら俺たちと歳の近い息子の話やら豆知識やら、今後の人生において無駄としか言いようのない情報を押し付けてきた後、新学年恒例のあの地獄の自己紹介をしてくれと言い出した。 「じゃあ、あなたから」 出席番号一番の男子生徒を指さして起立を強要するハラダ。 「えー、」 出席番号一番のイケダ君が妙に大人びた自己紹介を終えた。イケダ君は違う中学だがきっと委員長とかしていたに違いない。しっかりした奴だな。 それにしてもなかなか精練されたシャープな自己紹介だった。基本的な型にはめつつ、鋭さと輝きを極限まで上げているハイセンスな自己紹介だ。しかし奇抜さと芸術性が少し抜けているところが減点対象だ。ハイレベルには違いないので、まあ八十五点というところだろう。うん、高得点だな。これは結構ハードルがあがったぞ。もう一度自己アピール文を考え直さねば予選敗退だな。 そして出席番号二番。 「私はイマムラアユミです。趣味は特にありません。みなさん仲良くしてください」 イマムラアユミが笑顔を浮かべ自信満々に着席した。 なんてこった。レベルの高い上級自己紹介でハードルがあがった後にこんなレベルの低いお子ちゃま自己紹介をするなんて……。やはりイマムラアユミ、俺みたいな一般生徒とは比べ物にならないぜ! 中学校違うから初めて見たけど。 イマムラアユミのおかげでレベルの下がった自己紹介大会はあっという間に俺の出番になった。 「えーっと、僕は」 何となく僕と言ってしまった。 「葉野グレゴリーです」 教室内からは息遣いの一つも聞こえない。 入学初日にウケ狙うもんじゃないな。みんな笑ってもいいのか悩んでいる。決して面白くなかったわけじゃないはずだと思う多分。 「先生」 俺はその静寂の靄の中で闇を切り裂く美しい光の柱を天に突き刺した。 挙手。 「自己紹介のやり直しを要求します。これが認められない場合被告への肉体的罰を検討したいと思います」 「あ、はいどうぞ。みなさん今の自己紹介は冗談だったみたいですよ。今度は気を付けて笑ってあげましょう」 ここは地獄か? それとも何かの試練なのか? ここを乗り切ったら俺は聖人と呼ばれるほどに成長できるだろう。しかし俺は試練から逃げることを決めているからな。 一度着席、そしてすぐに立つ。 「葉野ヒカゲです。陰陽の前後逆で陽陰です。よくオンミョウと間違われますがヒカゲです。でも面倒くさいのでオンミョウと呼ばれても返事します。よろしくお願いします」 「みなさん、葉野君の名前は間違えないようにしましょうね」 俺この先生苦手だわ。 そして俺の次の生徒の番だ。 「宇宙人、未来人、超能力者がいたら以下略」 なんて自己紹介をされたらどうしようかと心配していたがそんなことは全くなかった。それどころか入学初日に登校をぶっちぎるというなかなかファンキーなことをする生徒らしく、俺の真後ろは見事な空席。そんなわけで本人に代わってハラダ先生が紹介を始めた。 「ヒラタウミさんは今日お休みです。仲良くしてくださいね」 そんな! 姿見たことない子と仲良くなんてできないよ! スカートの中から触手がうじゅるじゅると蠢く可愛い十六才だったらどうするんだよ! 異星人のお友達と仲良くできる自信はないぞ……。え? そんな子が俺の真後ろの席に座るの? なんか怖い。姿を確認するまで俺は恐怖と戦わねばならない羽目になるとは。恐るべし、ヒラタウミ。 俺の妄想とは関係なく進んでいく自己紹介。次はヒラタウミの後ろ。 「フジムラキイロです! 藤のしたに村と書いて藤村です! 趣味は……だらだらだらだら、あ、これドラムロール。だらだらだらだらだらじゃかじゃん! 空っぽオーケストラ! 略してポケトラ! ってなんじゃそりゃぁ! カラオケやがな! あんた大概にしぃや?! なんちってー! そんなわけでぜひカラオケに行ってクラスの親交を深めようとする際にはぜひフジムラキイロをご用命のほどよろしくお願いしまっすね! 以上で私の自己紹介の第一部を終わります! ありがとうございました!」 「いったい何部構成?!」 あ、思わず突っ込んでしまった。 「はっはっは! 大体四部を予定して作ってるからね。楽しみにしたまえ諸君」 そういって座った。 なんだこいつ。 普通じゃねえ。並みの神経を持っちゃいねえこいつの感情の中には羞恥というものがないのだろうか。初日にこんなハッピー自己紹介を繰り出すのはただの馬鹿かとんでもなく明るいやつかのどちらかだが、どうもこいつからは馬鹿オーラが出ていない。明るいやつなのだろう。 「えーっと、私はホシノ――」 フジムラキイロのせいで次の人の自己紹介が頭に入ってこない。とんでもないやつが俺の後ろにいるもんだ。 その後自己紹介は何事もなく終盤へと向かう。 「ワタベミユです。ユミとか呼ばれますがミユですオンミョウ君と違ってユミと呼ばれても返事しないのでちゃんと深優と呼んでください」 綿部深優め、俺の真似をしやがったな。生意気な。しかも俺が滑ったネタにかぶせたから少しウケてやがる。生意気な。同じ中学だからって許さねえぞ。生意気な。 綿部深優の自己紹介の終わりは地獄のイベントの終わりだった。一年四組、三十六名。自己紹介終了時、負傷者葉野陽陰一名、死亡者なし、欠席者ヒラタウミ一名。 これが俺と一緒に一年間を過ごすクラスメイト達。何とか溶け込めるように努力しよう。 本日は自己紹介と学校での注意点と初授業の日程だけ伝えて解散となった。明日から本格的な高校生活のスタートだ。気合い入れて行こう。 「オンミョウ君」 「誰だわざと名前を間違えて呼んでくる幼少期を共に過ごしてきた幼馴染であるとともに俺の天敵である綿部ミユは」 「ヒカゲ盛大に滑ってたわね」 ミユがいやらしい笑みを浮かべながら果敢に挑んだ俺に近寄ってきた。 「あれが俺の芸風だからいいんだよ。すべり芸ってやつ。お前みたいなやつにはとてもできないハイレベルな芸なんだぞ」 「確かに私みたいな繊細な人間にはできないわね。ヒカゲみたいに図太い神経を持っているおバカさんじゃなきゃマスターできないわ」 馬鹿にされた。高校にも上がってミユに馬鹿にされる毎日は変わらないというのか。高校生という肩書になれば毎日がハッピーでエキサイティングなエブリデイを過ごせると思っていたのにとんだミステイクだったようだ。毎日とエブリディが重なってしまったがそこは俺の英語力を図るいい機会だと思って聞き流してくれてかまわない。 ――振り返ってみれば小学校の頃は中学校に妙な恐怖感を覚えていたが大した問題はなかった。今回の高校生に対する大げさな期待もそれと同じで単なる妄想でしかなかったようだ。正直に言うと何度も味わっている経験なのである程度の予想はできていたが、まさか一日で砕かれるとは思いもしなかった。 小学校の頃抱いていた中学校への恐怖、中学校の頃に思い描いていた高校生活への期待。学年が上がるたびに生まれる小さな感情。ステージが上がるごとに生まれる大きな感情。それを繰り返して世界の仕組みを理解していくのだろう。さすがに幼稚園の頃は小学校に対するおかしな期待も恐怖も感じてはいなかったが、人というのはそういった感情を知らないうちに乗り越え踏みつけ成長していくんだな。 レベルが上がるときに感じることと言えばこれもある。 『あのころに帰りたい』現象。 高学年に上がったら低学年に戻りたいと思い、中学時代は小学校に帰りたいと思い、高校時代は中学校に帰りたいと思う例のあれだ。 誰しもが感じ、そして現状を嘆く。ステージを上がるという意味を実感し、現実逃避する。過去に夢を見る。 しかし忘れてはいけないことがある。それはもう一つの不思議な現象、『あの頃こうしとけば』現象だ。 ああ、今となってはできないが、あの頃あれをしておけばなあ。 簡単に言えば後悔という一言で表せるが、学生の身ともなればそれはきっと簡単には言えないだろう。小中高、人生でこれを体験できるのは一回だけなんだから。 そしてここで問おう。 あのころに戻りたい、そしてあの頃こうしておけばよかった。その二つを合わせてみるとどうだ。 そうだ! そうなんだよ! 今を頑張ればそんなこと思わなくて済むんだ! だから高校生活では後悔しないように全力で生きてやる―― というのが俺の入学前の目標だったわけだが、もうやめた。いや、分かってしまった。 俺にはできないんだ。環境的にも感情的にも感覚的にも現実的にも無理だ。 ここを選んだ時点で新しい出会いはないし、ミユと同じクラスの時点で俺の平穏な生活は不可能だし……。さらに言えば変化のない通学路も、見知った顔のクラスメイトも、教師陣の中にボイン先生がいないこともすべて俺の計画とは正反対のものだ。なんというか……。 俺の人生終わっちゃった? いやさ、近いからっていう理由で選んだ俺が悪いんだけどさ、俺にも事情があってね? やむを得なし。仕方がなかったんだわこれが。 「ヒカゲ、部活見学に行きましょうよ。せっかくのハイスクールライフなんだからさ、私もあんたも少しは充実した生活を送る努力をしましょうよ」 それができない、無理だという結論を俺は出していたわけだが、まあ声に出していないのでミユに知られるはずもなく。 「でも俺何もできない。やだよスポーツを今から始めんのは。部活開始から周りのやつらと差があるなんて考えただけでも腹が立ってくる。勝てないなんてスポーツの楽しさが一切味わえないじゃないか」 「スポーツの楽しさは上達にあるのよ。まあどうでもいいわ。なら文化部に入りましょう、勝ち負けのない落ち着いた世界でまったりと過ごせばいいじゃない」 「そんなの俺には向いてない。落ち着きないもん」 「あんたそれじゃあやる部活ないじゃない」 「だからしたくないって言ってるじゃない」 「……」 あ、怖い。 しかし、ここで屈してしまったらそれこそ中学校生活の延長、ミユの舎弟というポジションを引き継いでしまうことになる。 少しでも環境を変えたいと思うなら、まず何よりも必要なものが一つある。 それは―― 「勇気だ!」 「は? いきなり叫ばないで。びっくりするでしょう」 少しも驚いた様子がないのはこいつが、怒り以外の感情を表現することができないからだろう。 まあ、だから。 高校生活を今までと一緒にしてはならない、そのためには今いる世界から脱却、決別をしなければならないということだ。それに必要なものが勇気。むしろ、それ以外にいらない。 「俺は部活やらない。ミユともうからまない。ミユの言うことも聞かない。脱ミユをここで宣言する」 「……何言ってるの?」 頭の悪い子を見る母親のそれで俺を見てくる。仕方がないので簡潔に述べてやるか。 「俺とお前の関係はここでお別れだってことだ」 「ふーん。そう。まあ別にいいわ」 意外とあっさりしているな。まあこちらとしては助かる限りだ。 「んじゃ、そういうわけで俺は帰る。頑張って部活探せよ」 「はいはい」 いろいろな意味を込めてミユに手を振り、教室を出た。 「まずは軽音部を見に行きましょう」 「それはまずい」 「なんでよ。k-on部は嫌なの?」 「それがまずいんだっての!」 そんなわけで俺はミユとともに文化部めぐりにいそしんでいた。 帰ったんじゃないかって? 残念ながら俺にはできないのだ。俺の心に刻まれた言葉がそれを許さないのだ! ――女の子には優しくしなくちゃなぁ――                       俺のおじさん ミユに逆らえなくからじゃないんだからね! 仕方なくついて行ってやるのよ! そういうわけで俺は金魚の糞のごとくミユの後を追いかけて校舎内をうろつくことになっているのだが、この女本当に何も考えていないらしい。おそらく今日決めることは不可能だろう。 「文化部っていったい何があるのかしら」 「文芸部、とか」 「乗っ取る気?」 「乗っ取らねえよ」 「乗っ取ったら部活の名前変えましょう。『綿部ミユによるヒカゲを男にする団』。略してWHO団」 勝手にやっといて。 「なんで俺が部活探しを手伝わなきゃいけないんだ。俺文句ばっかり言うよ? 正直邪魔だろ。落ち着いて部活見学なんてさせないんだから一人で回った方がストレスも溜まらないし時間もそんなにかからないし俺も幸せだしエコだしいい事尽くめだろう」 こういうと俺の二歩前を歩いていたミユが立ち止り振り返った。突然のことだったのでミユの顔が間近に迫る。 「……」 数秒の無言。そしてミユが言った。 「少しは、私の気持ちに気づきなさいよ……。バカ」 うるんだ瞳で上目使い、少し紅潮した頬。恥ずかしそうにスカートを握りしめる両手、そしてバカの中に含まれた無限の意味。これは……これは俺の求めていたハイスクールライフの最初の一歩目ではないか。まさかこんな身近にひそんでいようとは。 しかし残念なことに俺の夢を目の前で繰り広げてくれているのが綿部ミユであることが唯一にして最大の不服だ。 「あ、写真部なんてのもあるんだな」 「ちょっとちょっと、少しは戸惑いなさいよ。幼馴染の思わぬ告白に喜んで挙動不審になったり本気で悩んだりいきなり抱きしめたり」 「さっきのセリフがお前の口から出たものでなければ何度も何度も脳内ループを繰り返して家に持ち帰り口の中で何度も転がした後ベッドの中にもぐりこむんだけど、お前のだからドラッグしてゴミ箱にぶち込んでゴミ箱ごと脳内ハードディスクから消去した上に脳内パソコンを爆破する以外に助かる方法がなかったんだ。だから忘れた」 「ああ、爆破しちゃったからバカみたいな顔になったのね。そのまま意識も爆破してくれればよかったのに」 「俺に死ねと申すか」 簡単な話、俺とミユは単なる親友なのだ。親友だから家が近所ならば一緒に下校するし、親友だから今のような冗談が言い合えるし、親友だからできれば部活も一緒のところに入部できればいいと思うことは当然だろう。だからミユは俺を連れまわして部活を探しているのだ。 親友だからいつでも一緒にいたい。まあそれは普通のことだろう。 ここだけの話、進路決定の際にミユがここを選んでいたっていうのが少なからずあるのは否定できない事実。 十六年の想いはそれほどまでに強いのだ。 けども。 今回は違う。 俺は部活をやりたくない。何が何でもやりたくない。 せっかくの高校生という青春時代中の青春時代をあまり興味のない部活なんかで潰したくない。 学校帰りにバイト行ったり、ミユ以外の女の子と二人きりで遊んだり、夏休みになったら自分探しの旅と称したぶらり一人旅とかやってみたいのだ。だから今回の親友の頼みは聞いてあげない。 「そういうわけで俺は部活探しを手伝うだけだから。どの部にも入らない」 「どういうわけかは声に出してもらわないと分からないけど、だめよ。ヒカゲにはあと十二回の貸しがあるんだからそろそろ返してもらわないと」 「そんなもの数えとくなよ。それにそんな借りを作った覚えはない」 「何言ってるのよ。本当はもっとあるんだけど友達価格で五割引になっているのよ。やさしい私に感謝しなさい」 「はいはい」 面倒くさいな。このままではアベック入部を要求される。さすがに強要まではないだろうけど。 どこで作った借りかは分からないけどそれはここで返そう。友達価格で十二倍ってことにして今ある借りは現金一括にこにこ払いしよう。 「手伝う。しかし俺は入部しない。そこをはっきりとさせておくぞ」 「だめよ。ダメダメ。拒否権はないわ」 「ないのか」 それならば逃げるしかないな。こいつをどこかの部に引き渡したのちに逃げ出そう。俺に逃げ切れるとは思えないけどやる価値はあるはずだ。 「んで、運動部は選択肢にないのか。ミユ運動できるだろ。中学の頃なんども助っ人として運動部の手伝いしてたじゃん。グラウンド行けば引っ張りダコだろう。自分で探す手間省けるからその方が楽なんじゃない?」 「ヒカゲが運動部いやだって言ったんじゃないの。脳内ハードディスクの爆破で記憶も飛んじゃった?」 やばい。俺のために文化部を選んでいるようだ。それほどまでに意志は固いか……。逃げるだけじゃあ追ってくるかもしれない。何とか考えを改めさせなければ、俺の青春の半分が部活一色の思い出になってしまう。このままじゃあ大人になって青春時代を振り返った時、惜しいところまで行ったのにあと少しで手が届かなかった地区大会での苦い思い出や、熱戦を繰り広げたライバルたちとの汗臭い記憶しか残らなくなってしまう。……いやそれはそれでいいのかもしれない。 でも運動部は本当に嫌だし、文化部でそんな熱い思い出を作れるのだろうか。目の前にある写真部では無理だろう。 ちょっと想像してみた。 ――地区大会決勝。強豪校との勝負に辛勝してきた俺たち写真部。弱小楽勝という言葉で形容されていた俺たちがここまで来られたのは、部員たちの強いきずなと諦めない心で勝利を信じることができたからだ。ここまで来られたことに、俺は涙を堪えきれなくなった。 決勝の控室で涙を流す俺の肩を部長が叩いた。 「お前には強気で俺たちを引っ張ってもらう仕事があるんだ。涙を流すのはお前の役じゃないし、がらでもないだろう。いつもみたいに憎まれ役を買って出てもらわなきゃこの部はまとまらないぞ」 「――はい」 俺の言葉を聞いて、部長がたばこの火を消した。 「さあ、始まるぞ。ここまで来れたのは誰のおかげでもない。みんなの力があったからだ。それはこうも言える。みんなの力が合わさればこんな試合負けるはずがない。必然だ。運で勝ったなんて言う奴らも大勢いるが、所詮は外野の戯言。俺たちの底力を知らないクソガキばかりだ。知ってのとおり、今日の相手がそれの筆頭。やつらは世論を巻き込んで俺たちを、俺たちの誇りを汚しやがった。しかし、結局それしかできない雑魚どもだ。ガキの悪態で気持ちがどうこうなるほど俺たちは自分の力を低く見てはいない。そこは、よく分かってるだろう?」 部屋の隅で片膝を立てて座っていた男が部長の言葉に答えた。 「へっ! 当たり前だろう。運で勝ってこれるほどライバルたちは弱くないぜ。当然、運に頼るほど俺たちは楽天的でもねぇ。いついかなる時も、どんな逆境も、俺たちは力を合わせて実力で乗り越えてきた。それを否定するにはちぃとばかし勝ち続けすぎたな」 俺の隣に座る女子部員が言葉を続ける。 「私たちにはどこにも負けない団結力があるわ。それを運だのなんだのっていう奴らは所詮その程度なのよ。悔しいんでしょうね、光り輝いている私たちが。認めたくないんでしょうね、チーム一丸となることで生まれる底知れない力を。見せつけてやりましょうよ、認めさせてあげましょうよ。今日勝って、誰も目を背けられないところまで登って、そこで声高々に歌ってやりましょう。あのときみんなで聞いたあの歌を」 俺たちはお互いの顔を見合わせ一度頷いた。 「さぁ! 行こうじゃないか! ションベン臭いガキどもに戦いの仕方を教えてやろう! こちとらあいつらがしゃべる前からこの一戦を想定してここまでやってきたんだ。見せてやろうぜ、俺たちの写真魂を!」 おおおおお! 俺たちはカメラを持って決勝のフィールドへ向かった。 万を超える観客のフラッシュが俺たちを包む。 光輝。 それはまるで今の俺たちを表すかのような光景だった―― そんなの嫌だ。無理だ。死にたい。 やっぱり運動部だな。 ん? おおっとっと! いつの間にか部活をする方向で考えている俺に意志と頭の弱さが見られます。即刻治療が必要です。 「じゃあ、運動部も見てみる?」 なんと、こいつ俺に意見を求めてきやがった。 「NO!」 俺は猛然と腕を振って見せた。断れる日本人。それが葉野ヒカゲです。 「じゃあやっぱり文化部ね」 「NO!」 俺は憤然と腕を振って見せた。そんな俺にミユはにこやかにこういった。 「部活やりますか、人間やめますか」 さわやかに言うミユの顔の前で、握りこぶしが大気を揺らし時空をゆがめていた。 「部活します」 「よろしい」 か弱い人種である俺はこのようにして肉塊になることを避け続けねばならないのだ。弱肉強食の世界は厳しい。 ミユに怒られたがやっぱり部活はやりたくない。しかし部活をしないという選択肢はミユの力によってひねりつぶされたので入部一択となっている。幸いにも、ミユにはまだ俺の意見を聞くというやさしい人間の心が残っているのでそれを有効活用して一番楽そうな部に入ろう。 「茶道部。お茶は?」 どこで拾ったのか、ミユが部活一覧の書かれたパンフを持っていた。 「ダメダメ。俺正座したら血液止まって小指が壊死すんの。正座のない部活じゃなきゃダメ」 「コンピューター部。パソコンは?」 「あー、俺五分以上ディスプレイ眺めてたら視力が落ちていくんだわ。そういう病気だっておじさんが言ってた」 「じゃあ新聞部。新聞は?」 「え、お前知らなかったっけ? 俺文字の呪いがかかってるんだ。文字を読めば読むほど皮膚に文字が浮かび上がるっていう特殊な呪いなんだけど」 「なら裁縫部。縫い物は?」 「裁縫か……。俺の前世が、指に針が刺さって痛がって暴れた友達に押されて倒れた村人の手で潰されたクモだからなぁ。なんていうか……、トラウマ?」 「あんた探す気あるの?」 そろそろ怒られそうだからこれくらいでやめておこう。 「とりあえず一通り部の名前教えてくれ。まずは何部があるのか把握したい」 「……しょうがないわね。じゃあ漫画研究会。漫画描きましょうよ」 「研究会? 部と何が違うんだろうな」 「えーっと、ここに説明が書かれてるわ」 パンフの下を指さしミユが言う。 「部は生徒会に認められ部費の下りるクラブ。研究会、同好会、その他の部以外の組織は生徒会に認められていない部費の下りないクラブ。人数の増加、活動の成果によって部への昇格ができる、だって」 どちらかと言えば研究会側の方が楽しそうだな。 「じゃあ研究会で何か探そう。俺たちの力で部に押し上げてやろうぜ」 「あ、それいい考えね。そうしましょう」 「じゃあ部じゃない方向で考えよう。目指せ、一部リーグ!」 「おー!」 何とかなりそうだ。 「それで、研究会ってどんなのがあるの」 「このパンフレットに書かれているので聞いたことあるクラブは、漫画研究会とオカルト研究会くらいしかないわね。あとはなんか……細かすぎてどうなんだろうって思うのばかりね。書かれていないクラブもまだまだあるみたいだし、実際部室を探さなくちゃ何研究会があるのかわからないみたい」 それはとても面倒くさい作業でございますね。 しかしうだうだいうとボディランゲージによる強行説得が行われるので素直に校舎内を回ることにした。 ひたすらに教室が並ぶ校舎を見て一度溜息。 部室棟と呼ばれるこの校舎は一棟丸々部室専用にしちゃってるからまあなんというか……部活に熱心というか、節操がないというか……。とにかく部室棟の名は伊達ではなく、かなりの量のクラブがあった。その中にはオカルト研との違いが分からないようなUMA研やらUFO研、漫画研究会と合併すればいいアニメ同好会、さらに漫研アニ同に吸収されちゃえよと思う劇画研究会などと、細かく分かれており俺をげんなりさせることにとても役立っている。 選び放題と言えばそうなのだが、マニアックになればなるほど踏み込みづらい世界になると思うんだ。むさくるしくUMAのすごさを語られても戸惑いは隠せないし、劇画なんていったい何のことやら知りもしないし知りたくもない。 ああ、困った。逃げ出したい気持ちが仲間を引き連れて帰ってきた。一度は入部を決意したが……。面倒だ。 「選択肢が多すぎるっていうのもなかなか難しいわね」 「自由ってのは結構不自由なんだよ」 「なに悟ったようなこと言ってるのよ。ヒカゲも探しなさいよ。どこでもいいんならすぐそこの部室に飛び込んで入部届書くわよ」 すぐそこはカエル研究室。研究『会』ならギリ考えてもよかったんだけど、研究『室』なんてちょっとウケ狙ってますよみたいなところがむかつくので、探すのを手伝おう。 「ねえ、ヒカゲ」 少しトーンの低い声。何か嫌な話でもするのだろうか。 「なに」 「……テニス部とか、嫌なの?」 何を言い出すのかと思えば運動部ではないか。こいつのは人の皮をかぶった鳥なのか? 「ラケットなんか握ったこともないしゴムボールは気持ちいいし、無理だ」 「……そう」 なんで軟式前提だったのかに疑問を抱いてほしかったが、まあいいや。 さて、部活探しが行き詰りました。ここは一度選ばないというのも選択肢の中に入れてみるのも面白いかもしれない。 「合唱部、時計研究会、めがね同好会、カエル研究室、エトセトラエトセトラ……。多すぎるわ」 「合唱部ってのは部なのかい」 「名前だけ部を名乗っているみたいで部員も成果も足りないみたい。パンフレットの部活説明に書いてあるわ」 「そういうクラブもあるんだな」 「合唱部にする?」 「嫌だ。俺の歌声、殺傷能力が半端ないんだよね。まだ人を殺したくない」 「困ったわね」 困ったなぁ。 あれ、そういえば。 「お前美術部とか行きたいんじゃねえのか?」 「別に行きたくないわよ。なんでそんなこと聞くのよ」 「やりたいことはやった方がいいと思ったから」 「それは自分のことかしらね」 「何言ってんの。俺は別にやりたいことなんて何もないっての。中学時代、お前美術部だったじゃん。なんでやらないの」 「……あんたが入部するならそれでもいいけど、別にヒカゲ絵好きじゃないでしょう。美術の授業中いっつもいらいらしながら絵描いてたじゃない」 「まあなぁ。今だから言うけど、俺絵の具の緑アレルギーなんだ。絵の具の緑を見ていたら目が癒されてしまうんだ……。ああ、くそ、緑め。俺を癒しやがって……!」 「なら一日中緑眺めておきなさいよ……」 さっさと歩いていくミユ。うむ、どうも美術部に入部する気はないようだ。なぜだろうかと気になりはしたが、出来る限り楽そうな部活を目指している俺なのでごちゃごちゃいうのは控えておこう。 めぼしいクラブもなく、ただ部室の前を通り過ぎてまた違う部室を探すという無意味で非生産的な行動を繰り返す。ひたすらに続く長い廊下を埋め尽くすくだらない部室たち。さて、本格的に逃げ出す計画を練らねばなるまいな。 「あれ、空き教室になっちゃった。部室はこれで全部みたい」 廊下の先の教室を見ても部室という感じはない。どうやらすべての部室の前を通ったようだ。 「もうちょっと行ってみる? もしかしたら奥にまだあるかも」 「もういいんじゃね。戻ろう」 これ以上先に行っても乳酸以外に得るものがなさそうだ。 俺は来た道を引き返した。 「そうね……、ん? あれ?」 廊下の先、部室のない廊下の先でミユは何かを見つけたようだ。 「どしたの。なにかおいしそうなものでもあった?」 「なんで食べ物なのよ」 「え、食い物以外でお前の興味を引けるものがこの世には存在していたのか?!」 「死にたいならもうちょっと私を罵りなさい。まだ我慢できる範囲だから、あとちょっとだけ悪態をついてもらえれば理性を殺すことができるわ」 「……お前って、可愛いよな」 とりあえず褒めとけば機嫌治るだろ。 「そんなことより、あれ見てよ」 「あれって?」 ミユの視線の先、廊下の奥を見てみる。 「……何もないけど」 「人が入っていくのが見えたわ。どうもあっちにも部室があるみたい。行ってみましょう」 「えー、もういいって」 「いいから行くのよ」 ミユが俺をつかんで歩き出す。しょうがない付き合ってやるか。 でもな。 つかむところは手にしてくれ。せめて襟首とか、耳とか。何なら髪まで我慢する。でもまぶたはマジでやめてくれ。内側からひっかけないでくれ。 そしてたどり着いた部室のプレートにはこんな落書きが挟まっていた。 「日傘同好会?」 今まで見てきたものの中で群を抜いて訳が分からないクラブだった。 「これは、落書きかしらね」 落書きとは全くもって的を射た表現で、ただのノートの切れ端に殴り書きをしただけの紙がプレートに挟まっているのだ。雑すぎる。全く入る気がわいてこない不思議な部活だ。 「見学する必要はないだろうここ」 「でも少し気にならない? 日傘を愛でる会なのよ。人は未知の物に恐怖を抱くとともに不思議な好奇心も生まれてしまうものなのよ」 ミユは覗く気満々だ。仕方ない、ここは抵抗して無駄な時間を過ごすよりちらりと一瞬中を覗いてその不思議な好奇心とやらをそぎ落とすのがベストだな。 「んじゃ入ってみよう」 俺は日傘同好会の扉を開けた。 「……誰?」 扉を開けるとそこには幼女と呼べるような小さな女の子が一人寂しそうに椅子に座っていた。しかし幼女ではないと分かるのはこの学校の制服を着ているからだ。そして入学初日に部を立ち上げるような行動力のある人間なんてこの世にはいないと信じたいからこいつはおそらくこんななりでも一応上級生という生き物なのだろう。 「クラブ見学したいんですけど」 ミユが外行きの笑顔を見せながら幼女に話しかけた。 「け、見学?!」 幼女は驚きの表情でおろおろしている。 「け、見学って言われても、そんなの、何すればいいのかわかんないし……」 しまいには漫画のように頭を抱えて悩みだした。 「俺たち入部しようとしてるんですけど、ぜひいいところを熱く語っていただきたいなと」 「……うるさいなぁ……」 「へ?」 「いいところんてない」 不機嫌な顔でそっぽを向いた。 戦力をゲットできるかもしれない大切な場面なんだぞ。俺たちを逃さないぞ、といった気迫が全く感じられない。 「日傘同好会って何をするクラブなんですか?」 幼女は机の上に転がっている日傘に目をやり、そして言った。 「……日傘の、研究、とか……」 「とか、って、他になんかするんすか」 「うるさいなぁ。漫画研究会だって漫画を研究してるわけじゃないでしょ。名前とオーラと気合で活動内容くらい察しろ男!」 「名前じゃ判断できないしオーラなんてないから気合だけで判断せざるを得ない状況なのですね」 無理だった。 なんだかミユに対する受け答えと俺に対するときとじゃ天と地ほど違うんだけど、知らない間にこの幼女の恨みを買っていたとでもいうのだろうか。 これ以上質問する勇気がなくなってしまったので部室内の状況からクラブ活動の内容を想像で補うことにした。 分かったことその一。この部室には特別変わったものは置いていない。それどころか、何もない。机、椅子、何も入っていない本棚。クラブに関係しそうなものと言えば机の上に置かれた日傘だけなので、この部活はそう面倒なことをするような部ではないようだ。 分かったことその二。椅子が一つしかないところを見ると部員はこの幼女だけだと思われる。 分かったことその三。日傘、椅子が一つ、それ以外にクラブの内容、現状を把握する材料がないので俺の行動は全く意味のないものだということ。 そして今回学んだこと。聞かなきゃ何もわからない。 「そんなわけで、何する部?」 「うるさいよ」 やっぱり俺が聞くとかみついてくる。なぜだ。ここで、先ほど学んだことが役に立つ。聞かなきゃわからない。 「なんで俺にはそんなに厳しく突っかかってくるんですか」 「違うよ。女の子に優しくしろってお父さんに言われてるからだよ。お前に対しての態度が普通なの」 腕を組み睨み付けてきた。俺は幼女の目力に負けて机に視線を落とした。 「……太平洋?」 太平洋と書かれたノートが置いてあった。いったい太平洋にどんな魅力を感じてノートの、それも表紙にでかでかと書いたのだろうか。内容をチェックするためにノートに手を伸ばした、のだが、手に取る前に幼女の怒声が部室内に響いた。 「見るな!」 慌ててノートをひっつかんで鞄に押し込んだ。うーむ、気になる。いつかこっそり盗み見てやろう。 「太平洋が好きなのか。なんで?」 「太平洋ぅ? ……ああ、なんだ。いいでしょ別に。大きいし、水があるし」 「変なもの好きだな」 「うるさい! いいでしょ!? 太平洋が好きなの! バーカ!」 思いっきり机をたたく。そしてすぐに手をさする幼女。痛かったようだ。ぽろぽろと涙を流す幼女を見ていたらなんか……、ロリコンも悪くない気がしてきた。ロリコンは正義。これ、世界の常識。 「……ほら、謝りなさい」 「俺悪いことしたかなあ。でも、ごめんなさい」 「……」 涙目を隠すように俺から視線を外した。 「えっと……、あ、自己紹介がまだでした。私は綿部ミユ。こっちは葉野ヒカゲ。見学させていただければありがたいです」 「別に見学位いいけど、何も見るものないよ」 「でしょうね、見ればわかります」 「うるさい!」 先ほど以上に嫌われてしまったようだ。声を出しただけでこんなに怒鳴られたら堪ったもんじゃない。仲良くすることはフェルマーの定理を解くくらい難しいんだと思うな。フェルマーの定理がどれくらい難しいのか知らんけど。 険悪な空気を壊すためにミユが日傘同好会についての質問を投げかけた。 「ここは日傘の研究をしているんですよね。日傘ってどれくらいの歴史があるんですか? 江戸時代とか、室町時代とか、それくらい昔なんですかね」 「……に、二千年くらい前、から……」 「卑弥呼が使ってたんすかね」 「そうかもねぇ。気になるなら過去に行って来ればいいでしょ。輪廻逆転生しろバカ」 「卑弥呼に会える方法があるのならそんなことより二年くらい前に行って進路考え直すわ」 「じゃあ死ね」 まあ、辛辣。 「部員は部長さんだけですか?」 「ぶ、部長?! そうだよ!」 部長という言葉に何やらただならぬ喜びを感じている様子の幼女。 「部長で幼女なんて萌え萌えだな。幼女部長萌えー」 「幼女言うな。私にはあんたとは違う神々しくって仰々しい素敵な名前があるんだから」 「仰々しいの意見知らないだろお前。素敵な名前があっても声に出してもらわなくちゃ俺たちには聞こえませんよ」 「心の声が聞こえる癖に。聞こえるなんてプライバシーも何もあったもんじゃない。お前最低だ」 「妄想で俺を語るな」 「じゃあ死ね」 あら、辛辣。 「もういいじゃん、こんなところ出ようぜ。入部する価値無いって。時間の無駄だ」 「馬鹿、部長さんを目の前になんてこと言ってるのよ」 とうとう幼女がブチ切れた。 「そもそも入部させる気なんてないけどね! でてけ!」 「言われなくても出ていくわ。んじゃなガキ」 「ガキっていうな! 私にはあんたと違って神々しくて騒々しい素敵な名前があるんだから!」 「騒々しいは正解だな」 「出ていけ!」 パイプ椅子をラインカーのように押しながら猛然と突進してきた。 「いてぇ! 何しやがる!」 椅子に押し出されるように押し出されてしまった。ミユも同様に。 「帰れ!」 ドアが壊れるんじゃないかってくらい思いっきり扉を閉めるクソガキ。おまけに鍵まで閉める始末。とても腹が立つ。 「何だよあいつ」 「ここには入部しない方がよさそうね」 「だな」 本日の部活探しはここで終了となった。最悪の終わりだな。 結局面白いイベントは何もなく俺の高校生活初日は終わった。 こんなものでよかったのか? 今までと何か違う一日だったか? ミユと学校へ行き、ミユと教室で駄弁り、ミユと下校している。何か今までと劇的に変化したところはあったか? 何もなかった。 俺にとっては中学から高校への変化は無だった。そう言ってもいいほどに何の充実感も得られなかった。これでいいのか。 変化を望んで高校生活に挑んだ。だが何の変化もしない日常。確かに生活側に変化を求めた、受け身だった俺が変化を望むのはおかしいかもしれないけども、でもここまで無であるのは少し酷すぎやしないかい神様。 「ちょっと、アイス溶けてるわよ」 「あ」 変わらないミユとの下校。変わらないファミレスでの小休憩。何も変わっていない。 「何考えてるのよ」 食べかけのパスタの上でぐりぐりとフォークを回すミユ。 「何も変わってくれてないなって。これじゃあ今までの生活と同じじゃんか。死にたくなる」 「そんなこと言わないの。変化したいなら自分が変わらなくちゃ」 「分かってるけどさ」 それができないからずっと同じ道を歩いてきてるんだ。簡単に言ってくれるな。 俺は窓の外に視線を向けた。 ……くそ。見たくもないものを見てしまった。気分わりぃ。 「……あんたのお母さんね」 俺の視線の先を見たミユもそれに気づいた。もともとなかった食欲が更になくなってしまった。 「やっぱりまだうまく行ってない――」 「家庭の事情だろ。口出すなよ」 「でもそこは親友として気になるから」 「お前、それ以上言ったら俺が怒るってわかってんだろ」 「……分かってるわよ。でも言っておきたかったの」 余計なお世話だ。 あーあ、嫌なもん見た。 「あれれ〜? ヒカゲ君ではないですかぁ。デートかしらん?」 嫌な気分のところに追い打ちをかけるように面倒くさいやつに見つかった。いやらしいにやにや顔が似合う男TOP3のうちの一人であることは間違いないな。 「うるせぇ殴るぞ」 「怖い怖い。さすがは熱血便利屋さん。暴力で解決することになれてらっしゃるわね」 「……はぁ、お前なんでこんなところにいんの」 「俺だって昼飯を食わねば生きていけんのですよ。ちょっと寄っておくんなまし」 ケツで俺を押してきやがった。うざいし、汚い。せめて何かを身に着けてこい。 「……お前、誰に対してか分からない嘘言っちゃだめよ。みんな俺が露出狂だって信じちゃうじゃない」 「心を読むな」 「それにしても君ら仲良いよな。もしかして付き合ってたりするのかしらん? おっと、今の質問は愚問だったわね。今のナシ。夫婦仲よきことほど幸せなことないなぁ、うんうん」 一人でしゃべって一人で頷く人間騒音機。 「あんたうるさいのよ。少しは静かにできないの?」 あからさまに不機嫌な顔をするミユ。しかしそれに気づかずヘラヘラとしゃべりだすうざい男。 「俺が静かにしちゃったら君たちの日常の三割もの騒音がなくなっちゃうわけ。それって寂しいわけ。俺はみんなのために騒いでいるわけ。そういう風に教わったわけ。このヒカゲちゃんに」 そういって肩に手を回してきた。これじゃあはたから見た人間に仲良しと思われてしまうではないか。さらにその噂に尾ひれ背びれ腹びれくびれがついてゲイという噂にまで発展したらどうするんだ。っていうか中学時代を思いだせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 「あんたそんなことこいつに言ったの? 馬鹿じゃない、うるさい人間をうざい人間に進化させたりなんかして何してるのよ。人類始まって以来の罪よ。大罪よ。ゲイよ」 「今関係ないこと言ったよな。しかし本当に面目ねえ」 責任を感じています。 「ほらほら、いいことしたんだから笑おうぜい。少なくとも俺はお前に感謝してるんだからさ」 ほっぺたにぐりぐりと指をめり込ませてくる男。いい加減面倒くさい。 「明るい方がお前らしいとは言ったけど、明るい通り越してるぞお前。ウザ明るい」 「ふふふ、これくらいが高校生活には必要なのよオンミョウ君」 くそ。こいつまで今朝の自己紹介を馬鹿にしてくるのか。やっぱり初日だからって少し飛ばしすぎたな。 「ところであんた一人でお昼ご飯食べに来たの? 寂しいやつね」 「一人じゃないよ。もちろんお前のお望みの彼もいっしょだべ。おーい、コウジちゃん! 隠れてないで出てきなさいっての!」 「え?!」 ミユが慌てて店内を見渡す。それと同時に自分の髪の毛をぺたぺたとなでまわし身なりを整えようとしているが、勢いよく首を回しすぎて髪が整うことは無い。 「……あれか? あのあからさまに新聞で顔を隠している学生か?」 店の端で、新聞を高く上げて過ぎて顔の上半分しか隠れていない超不自然な男がいた。 「おーい! コウジ! ばれてるから来いっての!」 恥ずかしさを捨てた人間のみが習得できる店内大声の術を使って超不自然な男を呼び寄せるうざい男。 「……いいのだろうか」 超不自然な男は諦めたように新聞をおろしこちらに困った顔を見せた。 「いいから来い来い! ディナーを楽しみましょうよん!」 恥ずかしい男は席を立ちあがり両手で手招きをしている。もし俺が超不自然な男もといコウジの立場なら、動きも恥ずかしければランチとディナーの区別もつかないような奴と知り合いと思われたくはないのでそのまま店を出るが、コウジはそれでも近づいてくる勇気を持っていた。 「お、おお。奇遇だな。たまたまマサカズと昼飯を食べに来たら偶然出会ってしまったな。運命とはこうもあれなものなんだな」 「何言ってるんだよ。いいから座れよ」 「いいのか? お前たち二人の邪魔をしてしまっても」 「邪魔も何も俺たちそんな関係じゃないし。な」 「ええ?! あ、ああうん、そうなの。なんで私がこんな馬鹿、じゃなくてヒカゲなんか、じゃなくてヒカゲとお昼を食べに来なくちゃいけないの! ありえないって! そう、たまたま。私たちもたまたまなのよね?!」 「そうですね」 この綿部ミユという女。そこに立っているコウジのことを中学時代から想い続けているというなかなかにウブな青春女子高生なのである。そしてコウジの前だと緊張しまくって何が何だか訳が分からなくなるという不器用女子高生でもあるのだ。だがしかしこの木下コウジという人間もおかしなやつで、鈍いという言葉に肉と皮とめがねをつけたら出来上がった鈍感の権化、いや、鈍感を総べる鈍感王と言っても言い過ぎではないほどのミラクル天然野郎なのだ。 「いや、すまない。引き返そうとしたらマサカズがヒカゲたちと一緒に飯を食おうって言い出してしまって、俺には引き留める暇がなかった。本当にすまない」 ミユに深々と頭を下げるコウジ。 「ち、が、違うってば! 私とヒカゲもたまたま一緒になっただけなんだって! 私が食べてたら座席の隙間から湧いて出てきただけの、そういう関係なんだから何も謝る必要はないんだってば!」 ……え? それどういう関係? 腰を九十度近く曲げたまま顔だけを俺に向けてきたコウジ。ちょっと怖い。 「そうなの。いいから座れよ」 「よし、そういうことなら昼餉を共にしよう。綿部、隣失礼するぞ」 「あ、うん!」 コウジの着席とともに少し距離を離すミユ。 「んじゃ、落ち着いたところで昼飯としけこみますか」 多分だけど、しゃれこむと言いたかったんだと思う。 「ヒカゲは何食ったのよ。まさかいきなりそのアイスとは言わないわよねぇ?」 「あまり食欲がなかったんだよ。これで充分」 「だめだぞ、ヒカゲ。ちゃんと栄養バランスを考えて食事をとらねば健康的な体は作れないぞ」 「そうだよヒカゲ君! 君ちゃんと栄養バランスを考えて食事をとりなさいよ! そうしないと健康的な体作れないんだからね?!」 なぜ同じことを言うのだ。 「便利屋ともあろうものが体を壊してしまったらお話にならないぞ。体を張ることも多いのだろう。健康管理には気を付けるんだぞ」 「誰が便利屋だ」 マサカズもコウジも俺のことを便利屋と呼ぶ。いや、中学時代の知り合いはみんなそう呼んでくる。 自分で言うことではないのかもしれないけども、俺は人から頼られることが多かった。信頼されているとかではなく、それは全くくだらない俺の低スペック脳のせいでどうにも断り方が分からないからなのだが、それをいいことにありとあらゆる悩みを俺に相談しに来るのだ。 ゴミ拾いのメンバーが集まらないだとか、彼と仲直りしたいだとか、怪しい人がいるだとか、あの子と付き合いたいだとか。今までされた頼みごとを挙げていったらきりがない。先ほどマサカズが言っていた暴力云々ってのもそれ関連だ。時には拳で説得することもある。そういうことだ。 人に頼られること、それは嫌なことではなく、もちろんうれしい。解決できた後の爽快感はたまらないし、自分が必要とされているという充実感が持てる。それは素晴らしい事だ。しかし便利屋と呼ばれることはいささか気分が悪い。まるでパシリのようではないか。俺だって頼みごとの内容くらい選んでたわ。 「お前は俺のことを本当に便利屋と思ってるみたいだな」 「違うのか? 俺も何度も助けを借りているし、マサカズだって。お前の便利屋稼業には本当に感謝しているぞ」 「俺も感謝してんよ。ヒカゲちゃん大好きよ〜」 気持ち悪い。 「あ、私も便利屋やろうかなぁ!」 勝手にやってろよ。 「俺はもうあんなことしないからな。流されるまま頼みごと引き受けてたけどあんなこともうしない。だからお前たちも金輪際俺のことを便利屋なる不名誉なあだ名で呼ぶなよ」 「わかった」 そんなわけで、今日も中学時代からの知り合いが集まっての昼食となってしまった。変化がほしいよまったく。 「あ、そろそろ私帰らなくちゃ」 適当におしゃべりをしていたところで急にミユが立ち上がった。 「じゃあ便利屋さんご馳走様。お先に帰るねー。ばいばい、コウジ君」 俺には見せない素敵な笑顔を見せるミユ。 「ああ、また明日」 ミユが颯爽と店を飛び出していった。 「なんで俺の存在が無かったことにされているのかしらん。悲しいわね」 「いいじゃん別に。どうせモブの進化系なんだし」 「モブの進化系言うな!」 「はっはっは。二人の邪魔をした罰だな」 さわやかに笑うメガネ。 「さすがに恋のキューピッドと呼ばれたヒカゲでもこいつは無理か」 「無理すぎる。俺はこいつの前にことごとく散ってきた女子を腐るほど知っている」 このコウジという男。妙にもてたりする。まあ、理由は分からないわけではない。端正な顔立ちに優秀すぎる頭脳、スポーツ万能親社長。そして何よりその性格。やさしいイケメン男子高校生とはこいつのことだ。どれか一つの要素を俺に分けてほしい。 「しかし本当にすまないな。俺たちのせいで綿部が帰ってしまったんだな」 普通ならばこいつを作った神様の家に殴りこんで釘バットでケツバットなのだが、この鈍さのせいで俺は釘バット制作を途中で投げ出さざるを得なくなっている。逆にコウジの幸せのために超級中学生時代恋のキューピッドを何度やったことか。手助けした女子がことごとく惨敗してのは言うまでもないが。 「ミユが帰ったのはお前たちのせいじゃねえよ。あいつはいつも先に帰るんだよ。用事があんの。それに俺たちは本当にそんな関係じゃないんだってば。お前勘違いしすぎ」 「そうなのか?」 そうなんだよ。そりゃ異性として意識しないなんて言ったら嘘になる。でも恋愛の対象となるかと聞かれたら俺は自信を持ってこう答える。 限りなくYESに近いNOだと。 そりゃあいつだって女の子だ。俺が間違いを犯す可能性はゼロじゃない。だから少し逃げ道を作っておくのだ。限りなくYESに近い、もしかしたら何かの拍子にYESに踏み込んじゃうかもしれないね。そういうことだ。 「そうだとしても一緒に帰ってやればいいだろう。家近いんだし、一緒に帰った方が楽しいだろう」 「俺にもいろいろあるんだよ。あいつにもな」 「いろいろ。……これはもしかしてあの時の恩を返すチャンスじゃないかしらん?! お前何か悩み事があるのではないのでありませんか?!」 あるのかないのかはっきり聞け。意味が分からない。 「あーうるさいうるさい」 俺はマサカズのうざい質問攻撃をかわすために取り敢えず話を変えることに。 「お前ら部活はやらないの」 「俺はやらないわよ。だって時間がもったいないからな」 「何の時間だよ。コウジは。お前はやらないのか」 「俺もやらない」 「やらないの? テニスは辞めるんだ」 「そうだな。お前がするのなら俺も入部するけどな」 「何言ってんだよ。俺がテニスできるわけないだろ」 「やってほしいんだけどな」 コウジの熱い視線。怖い。怖いから俺は視線を窓の外へ向けた。 「……!」 驚いた。 窓のすぐそばにしゃがみ込み俺の顔を凝視する女と目が合ってしまった。 「帰る」 俺は鞄を持って立ち上がった。 まったく、やる気をそいでくるやつだ。こんな時に来なくてもいいのに。 「何お前、怒ってるの? 悪かったって! 機嫌なおすのよジョー!」 「すまないな。無神経だった」 「違う。お前のたちのせいじゃないよ。これ、俺とミユの分。足りんだろ」 「え、ああ、充分足りるけど、おまえどうしちゃったの。なんで帰っちゃうのよ」 「悪い。ちょっと気分が悪くなったんだ。じゃあな、二人とも」 「……ああ、ではまた明日。元気な姿で会おう」 「はいはい」 「んじゃな便利屋君。困ったことがあれば俺に相談するのよー」 「はいはい」 俺は二人を置いてファミレスを後にした。 俺は黙々と歩いた。目的地は決まっていない。ただひたすら家から離れるように歩いた。 ダメだ。この時間に帰ったら早すぎる。まだ早すぎる。 公園でしばらく空を眺めた。何となく学校にも戻ってみた。コンビニで立ち読みして時間をつぶした。それでもまだ早すぎる。 もっと暗くならなくちゃ。 もっと遅くならなくちゃ。 もっと眠くならなくちゃ。 古本屋に行って読み進めている本の続きを読んだ。ゲーセンに行って無駄金を使った。ひたすら走ったりした。それでもあいつはついてきた。 俺の少し後ろをこっそりついてくる人間。 どれだけ逃げても追いかけてくる。話しかけてくれと言わんばかりに俺の顔を見てくる。俺はそれを無視し続けなければならない。それが一番いい方法だから。 遅くなった。暗くなった。眠くなった。 だから俺は家に帰ることにした。 あいつもついてくる。ただ無言でついてくる。ファミレスからずっとだ。いい加減にしてくれ。俺を苦しめるな。 俺は無言で玄関を開けた。 帰宅後は自分の部屋で読書にいそしむ。読書と言っても帰りに買ってきた雑誌だ。俺なんかが分厚い古典文学なんか読めるわけがない。活字は嫌いだ。眠くなるし目が痛くなる。雑誌もただページをめくって写真を眺めているだけだ。つまらない。早くみんな眠ればいいのに。 「……あの……」 誰かが部屋のドアを開けた。顔をのぞかせるそいつ。 「……なんだよ。勝手に覗くな。ノックくらいしろバカ」 「その……、私にできることない……?」 ファミレスからずっと俺を追ってきた女だ。 「いいから閉めろ」 「……ごめんなさい」 「いいから閉めろって言ってんだよ!」 俺は手に持っていた雑誌を、覗かせている顔めがけて投げつけた。 「きゃ!」 逃げるように扉を閉める女。雑誌は扉に当たり落ちて行った。 「……くそ、くそ、くそ!」 俺はたまらずに布団の中へもぐりこんだ。 嫌になる。普通妹にこんな感情を持ってしまうのはいけないことなんだ。道徳的、というか一般的に。世間的にも問題があるだろう。しかし本当の妹じゃないっていうところは少しの救いになっている。本当の妹だったら絶対に考えられないことだ。でも戸籍上妹とはいえ実際には血の繋がっていない他人であるから少しはこんな感情も許されるだろうと無理やり納得している。 しかし自分でもびっくりしてしまう。まさか妹にこんな感情を抱いてしまうなんて。叶うはずのない願い。淡い期待。本当に信じられない。あってはならない禁断の感情。 まさか妹にこんな感情を抱くなんて。 まさか自分の妹に―― 殺意を抱くなんて。