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@水曜日 入部
「おはよう愛するクラスメイト達よ。今日も一日元気に過ごすのよ!」
男子生徒が教卓の上に立ち大声でわめいている。
今日はマサカズの日か。
朝っていうのはもっとこう静かでつつましく迎えるものではなかったのか。ところでつつましいってどういう意味?
「元気キャラは藤村だけで手一杯だ」
「え、藤村? 誰それ」
俺のボヤキが聞こえてしまったようで人型騒音機・マサカズを近くに引き寄せてしまった。
「入学初日にとんでも自己紹介をしてくれたフジムラキイロだよ」
「あらー、俺バカだからさぁ、人の名前とか覚えらんないの。残念ね」
「本当にお前の頭は残念だよ」
「その言い方ひどくね?」
「このフジムラキイロを呼んだかね?!」
「呼んでない!」
いきなり聞こえてきた大声とともに扉が大きな音を鳴らした。全員がそれに目を奪われ、藤村の登場を期待したその時、
「と見せかけてババーン!」
声はすでに教室の中から響いていた。クラス中が藤村の姿を探す。しかし、どこにもいない。
「あ!」
誰かが声を上げた。声の主を見ると、天井を指をさし驚愕の表情を浮かべていた。指の先を見てみる。
藤村が天井にへばりついていた。
「はぁっはっは! とう!」
天井から飛び降り(?)華麗に着地し、藤村は言った。
「はっはっはー。もう私の命はない」
「えー!」
超展開だった。
「ぐはぁ!」
藤村の口から大量の赤い液体が吐き出され始めた。それはまるで世界三大がっかり、マーライオンのようだった。
「ええええ?! 死ぬの?!」
教室中が悲鳴に包まれ、誰しもが「あ、帰ろう」と思い始めたところで藤村の腹を突き破って何かが出てきた。
「ぐあぁ!」
藤村の顔はみるみる青くなっていき、腹からはずるずると謎の物体をひりだしている。吐き気がしてきた。
藤村の腹から産み落とされた真っ赤な物体はうねうねと床を蠢いた後、その動きを止めた。そしてその様子を、息をのんで見守っていた俺たち。
謎の物体の質感は……人の舌のような印象を受ける。一切動かない大きな舌は、弁慶状態の藤村とへその緒のようなものでつながれており、ただたた気持ち悪いという不快な感情をもたらしてくれた。
そんなどす黒い雰囲気の中、藤村が言った。
「……この後、どうしよう」
「考えてねえのかよ!」
一切動かなかった藤村が照れくさそうに舌を巻きとった。いや、それ結局なに。
「いやあ、あはは……。……じゃあ、そんなわけで、おはよう!」
ええー。
「ちょっと待て……今のお前には確実に説明責任がある! とりあえずどういうことか解説しやがれ!」
「はっはっは。これは普通の挨拶じゃあ面白くないと思った私が最新の技術を使って行った一大おはようございますプロジェクトなのだよ」
「いやいや! お前の腹からなんかタンみたいなものがでゅるりと飛び出してたし、口からはありえない量の血が流れてたし色々とおかしいだろ!」
「あ、あれ全部3Dだから大丈夫大丈夫」
「わーお、意味わかんなーい」
「なーんだ。3Dだったのね」
「ええ?! お前そこまでバカだったの?! 馬鹿さ加減に胃液が逆流してきそうだ!」
「3Dならしょうがない」
「3Dだものね、びっくりするわ」
いやいや、君たちバカなの? いや、馬鹿だ。大馬鹿だ。超級馬鹿だ! このクラス全員脳が腐ってる!
「いやぁ、収集つかなくなってきましたな」
「どうすんだよこの床! 血じゃないとしてもこんな真っ赤な床で普通に授業ができるほど俺の精神は壊れちゃいねえ!」
「……赤っていうのはね、情熱の赤とか言って、人の闘争心を上げるのに役立つんだよ。これをうまく勉強に――」
「活かせねえよ!」
「……ヒカゲ、これはいったい何事よ」
今登校してきたミユがつぶやいていた。
「……。わかりません」
「はっはっは!」
もう、何も考えないことにしよう。
色々となかったことにして、再び朝。
「それで、私の噂をしていたねヒカゲ君。いったいどんな悪い事を考えていたんだい」
「くだらない話だよ。お前とマサカズはうるせぇなあって話」
「マサカズ? マサカズって言ったら田村三村高橋の三人を思い浮かべるけど、さあ、答えはどれ!」
マイクをミユに突きつける。
「石黒じゃない?」
隣のマサカズの存在を見たくないという心がそういわせたのだろう。俺もそうしていた。
「ちっがーう! 俺、高橋正和。同じ中学校だったじゃなーい。忘れちゃだめよミユ」
「気持ちわる」
本気で蔑まれるマサカズ。しかしそれに気づかないマサカズ。うらやましい生き方だマサカズ。でもなりたくはないマサカズ。
「それで、このマサカズ君と私がうるさいっていうのはどういうことかね。双子とでも言いたいのかね? ええ?! 双子なの?! 生き別れた兄をこんな辺境の地で見つけるなんてこれを運命と言わずになんという! 偶然という! って言いたいの?」
「言いたくない。うるさいだけだ。それにマサカズはバカだ」
「俺バカなの関係なくね? ねえ、関係なくね?」
迫ってくるマサカズを適当にあしらう。
「私が明るい? 私の性格が明るいっていうんならマサカズ君はさながらマイナス二十七等級ってところだね」
「なんで俺がマイナスなのよ」
言葉の響きに不満を感じたマサカズが藤村に抗議する。
「ならプラス三十二等級にしてあげよう。嬉しいかい、うれしいだろう。喜びなさい。喜びの舞を踊りなさい」
「ひゃほーう! 三十二等級いえーい!」
浮かれてるあほめ。お前はそれを受け入れた時点で負けているのだ。
うわ、自慢している。藤村に三十二等級の称号をもらったのがそんなにうれしいのか。見ろ、コウジのやつ困惑して俺に視線を送ってきているぞ。でも俺はその案件を引き受けたくないのでコウジの視線は無視で返すことにする。
「明るいだなんて、照れちゃうなあ」
「お前うるさいを明るいと意訳するな。俺の言ううるさいはうるさい以上の意味を持ってない」
「にははー、照れるな照れるな」
脇腹をつついてくる藤村。
「うぜえ」
もう色々と諦めよう。
「ヒカゲ」
ずっと無言で黙っていたミユがやっと言葉を発した。
「何だよ」
「あんた昨日――」
忘れてた。謝ろう。
「ごめんなさいあれは事故だったんですというのもうっかり電源ボタンを押してしまい通話が途切れてしまった後やばいと思い掛け直すも電源ボタンがはまりこんでしまい「つかえねえ携帯だなぁ」となげくもまあ結局どうしようもなくてせめてミユに事情を説明しようと公衆電話を探していたところどこまで探しても見つからず少しノスタルジーな気分に浸っていたら日が沈んでまた昇り変わらない日常がスタートし始めたのでもう仕方ないかとあきらめせめて登校一番に謝ろうとこの教室で五時間待っていたところでしたごめんなさい」
とりあえず床で額を割ることで誠意を見せることにした。
「別に怒ってないけど」
「え」
額から流れる暖かい液体が俺の顔を流れ床に血だまりを作る。しかし、今怒ってないと? 怒ってないけど殺すって言った? 怒ってないけど、の後に何か言ってた? 俺聞き取れなかったけど。まさか何も言わなかったってことはないよね。そんなことが起きているのならば空から血のような雨が降っているはずだ。ほら。降ってない。きっと俺が聞き取れなかっただけなんだよね。……だよね?
「まああの時あんたが怒る気持ちも理解できないこともないし、無理やり引っ張りまわした私にも責任がないとは紙一重で言いきれないわ。だから昨日の放課後のことは別に私は怒ってない。でもあんた部長に謝りなさいよ」
本当に怒っていなかったようだ。
「なんで俺が。明らかにあいつの方が悪だろう。俺は謝らない」
「どっちが悪いとかどっちが善だとかそんなことはどうでもいいのよ。これから一緒にクラブを盛り上げていくんだから変なわだかまりはなくしちゃいましょう」
「だから、なんで俺が謝らなくちゃいけないんだよ……とキレる前に、今なんて言った?」
「聞こえていたでしょう。そのままの意味よ。二度言わせないでよ面倒くさい」
「なんで俺は入部したことになっているのだ!」
誰がいつ入部届をあのちんちくりん部長に提出した! 誰か過去に言ってその様子をビデオカメラで盗撮してネットに流出させろ! そして俺が見てやる。
「あんた入部届出すの面倒くさがるでしょ。だから私が出しておいたわ。感謝しなさいよ?」
「ねえ、俺の意見は?」
「ははは。大丈夫よ。ちゃんとハンコも押しておいたから」
「俺そんな心配してないよ? 俺、入部したくないよ?」
「まったく。世話が焼けるわね」
「焼かなくていいよ? ねえ、俺、入部したくないよ?」
「……」
「……」
高い位置からただ睨み付けてくるミユ。その視線は、もし力があったとしたら、俺は木端微塵になっているだろうというレベル。
「あれれ? 二人は同じ部活に入っちゃってるの。昨日の話を理解していないみたいだねぇ」
藤村が不思議そうな顔で俺たち二人を交互に眺める。
その表情は俺だってしたいぜ。
「俺は入部したつもりもないしどこにも入部する気はない。たとえ無理やり入部させられていたとしても俺は絶対に行かない」
「なんでよ。あんた熱血スポーツ少年じゃない」
「日傘同好会はスポーツじゃねえだろ!」
「そんなのはどうでもいいじゃない。ちゃんと来なさいよね」
「……はいはい」
面倒くさい。適当に話し合わせてとんずらこくしかないようだな。
「ヒカゲ!」
俺の体が浮いてしまうほどの勢いで足を鳴らしたミユ。
空中に彷徨わせていた俺の目がミユの顔に引きつけられる。
「あら? あんたよく見れば今からスーパー大殺界よ。もし逃れたければ今日部活に顔を出すことね。そうしないと五体満足で学校を出られないと私の勘が教えてくれるわ」
「……」
恐怖で何も言えなかった。
ミユの隣では藤村が唸っており、俺は滝のような汗を流していた。それ以外何も覚えていない。恐怖とは人の記憶を操作する力があると知った高校生活三日目だった。
昼休み。昨日の約束を守る時が来た。
コウジとミユを一緒の食卓に座らせることで色々とあった借りを全部チャラにしてやろう。ついでに部活のことも許してもらおう。
「ヒカゲ! 学食行くわよ!」
「ああ、ちょっと待ってくれ。コウジ呼んでくるから」
「……」
一瞬の沈黙ののちミユが顔を赤くして頭を振りまわし始めた。
「は?! なんでそんなことするのよ!」
「昨日そういう話しただろう」
「……そういえばそうだった……。心の準備が……」
胸に手を当て緊張を隠せない表情で俺の顔を見てくる。
「じゃあ呼んでくるからその間に心の準備とやらをしておけよ」
俺はコウジが向かったであろう購買へ行くべく立ち上がった。
「うわー! 待って!」
「ひでぶ」
俺の顔面を強烈な閃光が襲った。言わずもがな、ミユの右ストレート。
「な、な、何をする……」
「今日はやめ! 明日から!」
顔を真っ赤にして息を切らしている。そんなに興奮しなくても……。
「でも善は急げっていうだろ」
「いいから明日からって言ったら明日からー!」
校内を貫く大きな声で俺の耳の機能を著しく低下させてくる。こいつは全身兵器で出来ているのか?
「行くわよ!」
何を言ったのか聞こえなかったが襟をつかまれ引きずられているところを見ると飯を食いに行くのだろう。
その後学食で待っていた藤村と三人で飯を食いながらミユの意気地のなさを攻め、残りは明日の作戦を立てることに費やし昼休みを終えた。
光陰矢のごとし。あっという間に放の課の後になった。
「……本当に来た……」
入室そうそうあきれた目で俺たち三人を見る幼女。
俺はミユに連れられ無理やり自主的に部室へ足を運ばされた。幼いころから杭につながれた象の気分だ。
「当たり前。私たち入部したんだから」
「……そっちの子は初めて見るけど」
俺の隣に立つ藤村をさす。
「はい! 私の名前は藤村黄色。特技は信じる力です。だから幽霊だってお化けだってこの世に存在してるし、見えないところで幸せに暮らしていると思う。だってそうじゃなきゃ悲しいから。証明終わり」
「……へぇ」
幼女もこいつの意味不明っぷりにはどう対処していいのかわからないようだ。
「へぇ、ってことは入部でいいんですね。ありがとうございます」
意味が分からない。
「え、あ、いやその……、まあいいや」
面白くなさそうに頬杖をつき入口に立つ俺たちから視線を外した。
「これで四人そろったわね」
この教室内にいるのはどう数えても四人。目をつぶって数えても四人。見えない生徒の存在を超感覚で感じ取ろうとするも俺には才能がないようなので数えられる生徒は四人だけ。いくら頭の中で抵抗しようと打開策が見当たらないので『四人そろった』の内の一人を担うことを覚悟する。
「んで、ぶちょうさん。俺がこの場にいてまだ何の怒鳴り声も金切り声もカマキリ声も聞いてないけど、飼ってたウーパールーパーでも死んじゃったのか」
「そんなもの飼ってない。私の家にいるのは大きいアルゼンチンドーゴ。間違えないで」
「何それ。ウミウシかなんかの種類?」
「なんでウミウシ?」
本当にどうしたことか。あからさまな間違いにも激昂することは無かった。静かで逆に恐ろしい。もしかしたらこいつは双子の姉妹かなにかではなかろうか。それか大きな悩みごととか。
「どうした。悩みがあるなら解決するぞ。藤村が」
「うわ〜、無茶ぶりだぁ……」
「悩みなんてないけど……無いけど……。……ぐす、……ぎゃぴー!」
何がどうしたのか突然ワンワンオンオンギャンギャン泣き始めた幼女。
「うるせえなあ! なんだよ、蜂にでも刺されたのか?!」
「違うけどお前がかわいそうだからー!」
「は?」
「昨日はゴメンー! 入部させてあげるから爪はがさなくてもいいよぉ!」
何を言っているのかわからないがおそらく十中八九ほぼ間違いなく九割方いや九割九分九厘方隣で満足げに笑うミユの仕業だろう。
とりあえず何をしたのかこっそり尋ねてみた。
「別に何も。ただあんたがどの部からも入部拒否されて最後にたどり着いたここでも拒否されてこのままだと悲しみを忘れるために足の爪を全部はがして爪アートをするって教えてあげたのよ」
「誰がそんなことするか! ってか信じんなよ……」
「そんなことする必要ないぜヒカゲっち。爪アートは前衛的で素晴らしいけど、所詮は二番煎じだぜ」
「一番をぜひ見てみたい」
しかしそんな嘘までついて俺を入部させる必要があったのだろうか。俺のやる気のなさは今後の活動に支障をきたすと思うのだがどう思う?
「……とりあえず、どうする?」
泣き止んだ部長が俺たちに尋ねてきた。
「そりゃ部長のお前が決めろよ」
「……だって、何する部かよく分かってないし、私この部に入ったばかりだし、新入生だし……」
……はい?
「お前先輩じゃないの? いや、その前にお前新入部員かよ。いやいや、その前に何する部か分かってないってなんだよ! ワケわかんねえ部に新入生のお前は入部したってのか?!」
「だ、だって、誰もいない部ってここだけだったし、……誰も入ってこないと思ったし……。こんなことになるなんて考えてもみなかった」
肩を落として誰が見てもわかるような落ち込み方をする幼女。
「んじゃ、誰かひとっ走り先生に何してた部活か聞いてこいよ。それからじゃなきゃ何もできない」
「そういうことなら私が、」
「ダメダメ!」
突然体に似つかわしくない大声を張り上げ扉に手をかけた藤村を引き留めた幼女。
「なんでかな。なにもわからないんじゃあ、なにをすることもできないよ」
「……とにかくダメなものはダメ! ここは私の部活だから私が何するか決めるの! 部員全員いなくなったからここは新しい部活に生まれ変わったの。私のしたいことするの!」
「まあ、したいことがあるならいいけど」
全員が幼女に視線を向ける。幼女はその視線に気づき誰がどう見ても考えていると分かるポーズで悩みだした。
しばらく無言の時間が過ぎ、それに耐えきれなくなった藤村がうねうねと動き始めたところで幼女が口を開いた。
「何もわかんない」
だろうと思った。
「ねえ、何かいい案ないの」
部長のくせに何も決められないのかよ。
「そうねぇ、何かいい案ある人」
「私はミユちゃんの恋路を見守るためにここにいる透明人間だから何をするにしても二人についていくよ」
「……やっぱりそんな理由でここにいるのね……。助かるからいいけどさ」
……。
ミユはなんでこうも矛盾した行動ばかりとるのだろうか。藤村が手助けをすると言ったら助かるといった。でも男と二人きりで部活探しをし、その男と一緒に入部している。たとえそれが親友だったとしてもこんな行動をとるだろうか。実際問題コウジは俺とミユの仲を勘違いしている。俺たちがどれほど否定したところでこんな行動をとっていては疑いが晴れることは無いだろう。
なのになんで俺と一緒にいるんだ。
別に幼いころ結婚しようだとか、お嫁さんになるだとかそんな約束をした覚えはないし、それ以前に幼いころは別段仲がいいというわけではなかった。ただ家が近いから一緒に学校へ行ったり、暇だったら時々一緒に遊んだり。
そんな浅い関係だったんだが。
……小学校あたりからか。俺は女の子と一緒に遊ぶことに恥ずかしさを感じ始めた。ミユもそうだったらしく、小学校ではほとんどコンタクトを取らなかった。学校へ行くのも、時間がかぶって通学路で出くわしたときだけ一緒に行くというような感じ。ともに登校しても、一緒に教室へは入らず、何かと理由をつけてわざと時間をずらして行ったり。
あのころの俺たちには、誰かがその仲を勘違いするような行動は一切とらなかった、と思う。
でもあることがきっかけでミユは俺の後ろをついて回るようになった。俺はそれに付き合ってやった。
そのころからか俺たちは親友になったんだと思う。
それでも。
それでも好きな相手がいるのにこんな行動をとるだろうか。とるわけがない。だからと言ってミユが俺のことを好きだとかそんな感情を抱いているだなんてことは絶対にありえない。確かめたわけじゃない。でも、絶対にありえない。もし俺がミユのことを好きだとする。その状況でミユに違う子が好きだと相談を持ちかけるだろうか。
あり得ないだろう?
その行動で誰が得をするわけでもないし、ミユの気持ちをこちらに向けることもできないだろう。しかも応援されだしたらたまったもんじゃない。
嫉妬させようとこういう行動をとったのかもしれない。でもそれは相手が自分のことを好きだということが前提なわけで、しかも嫉妬させることに成功しても相手が自分のことを好きだということが確かめられた時点でやめればいい。長く続ける必要はない。嫉妬してもらえればそれで終わり。
つまりは、一年近く俺にコウジのことを相談してくるミユは俺のことが好きではないということ。
証明が終わったところでもう一度ミユの行動を見てみよう。
男と二人きりで部活探し、そののちに入部。何がしたいのか全く分からない。
でも少しだけ気持ちは分かるかもしれない。
「ヒカゲ、あんた長い時間考え込んでるけど何考えは浮かんだの」
俺の気も知らないでのんきなこと言ってやがる。ま、ミユのことだし好きにやらせておけばいいか。
「ん。ああ。今日はとりあえずお互いのことを知るための時間でいいんじゃねえの。俺幼女の名前知らないし、藤村のことも知らないし。知りたくもないけど」
「あーそう言えば私も部長の名前聞いてないわ。昨日から部長部長呼んでたから気にならなかったわ」
「だろ。この幼女の生態を知るいい機会だ。今日は自己紹介デーにしよう」
「幼女言うなこの変態!」
「なんで俺がロリコンだと気付いた!」
「……」
全員どん引いていた。
「ロリコンは死ね」
「ほら俺の名前知らないから変態とかロリコンとか言ってくるんだ。名前を教えればそんなこと言われなくて済むだろう」
「残念だったね。私は変態のこと呼ぶときにはいっつも頭にロリコンをつけて呼ぶもんね」
「変態なのかロリコンなのかどっちかにしてくれ」
「じゃあ二つを合わせてロンコイと呼ぼう」
「なんか萌え萌えマンガみたいだな。っていうかなんでそんなトリッキーな文字の取り方をした」
ロリコン。
ヘンタイ。
ロ コ
ン イ。
ろんこい!
「じゃあロンコイって呼ぼう」
「呼ぶな。じゃあ俺はお前のことを可愛くて素敵なお嬢様と呼ぶことにするよ」
「ひひひ、バカだ。わざわざ私のこと褒めるなんて変態はやっぱりバカだ」
「街で見かけても可愛くて素敵なお嬢様、トイレに入っているときも可愛くて素敵なお嬢様、雀荘にいるときは可愛くて素敵な闇に降り立った天才。どこにいようがそう呼ぶぞ」
「別にいいもんねー。褒められることは悪い事じゃないし」
ダメだこいつ。羞恥心とかそんなものは毎日お尻から逃げているようだ。こいつには俺の言っている意味が通じていない。
「さて、そろそろ聞いている方も面倒くさくなってきたからそろそろ自己紹介を始めましょう」
部長のように仕切りだした。こいつは本気で部を乗っ取る気かもしれない。
四人で長方形のテーブルを囲むように座る。全員が席に着いた瞬間にミユが立ち上がった。
「私が最初に自己紹介するわね。私は綿部深優。千帆中学校から来た千帆小卒の純粋なる地元住民よ。この辺のことで分からないことがあったら聞いてね。なにか私のことに関する質問ある人」
「趣味は?」
「特になし」
「ミユちゃんの好きな食べ物は?」
「特になし」
「じゃあ嫌いな食べ物は?」
「特になし」
「好きな歌手とかは」
「特になし」
「嫌いな人は」
「ヒカゲ。ほかに質問は?」
「今のは言い間違いですか? そうじゃなきゃ悲しいんですけど」
「無いようならこれで終わるわ」
結局分かったのは俺のことが嫌いということだけだったな。
「じゃあ次私ね。私の名前は藤村黄色。小野中学校出身のさえない女子でやんす。特技はナイフで指の間を往復で突きまくるやつ。でもこの間失敗して指が一本なくなっちゃったから今は左手の指が五本しかないのだ。もともとは六本あったんだけどね。ちなみにお母さんは七本で、お姉ちゃんは八本」
「何じゃそりゃ。自己紹介で嘘言うなよ」
「あっはっはー、ごめんごめん。いくらなんでもめちゃくちゃだったよねぇ。私にはお姉ちゃんいないもんねぇ」
そっちじゃねえ!
「キイロはなんで千帆高に来たの? 結構遠いわよね」
「新たな自分を求めて、かな。ふっ」
格好をつける藤村。前髪を掻き上げるしぐさが妙に様になっているのがむかつく。
「電車で通ってるってこと?」
「いやいや、私は瞬間移動ができるからね。しゅん! しゅん! ほら、今コンビに言って飴玉を買ってきたよ。みんなにおすそわけだ」
鞄の中から飴の袋を取り出し中身を配って回る。
「同じ窯の飯ならぬ同じ袋の飴を食べた者同士、仲良くやっていこうではないか」
こいつは人と打ち解けるのが早そうだな。いわゆるクラスの人気者って奴だろう。
「なら次俺な。俺は葉野陽陰、千帆中出身。一応ポジション的には主人公やってますけどそういう気遣いいらないから自然に接してくれたまえ脇役諸君」
「へーそう。最後は私ね、私は――」
「もうちょっと俺をいじってくれツッコんでくれ! 寂しいし恥ずかしい!」
「なんでやねん。えーっと私は…………その前にみんな何組か聞きたい。何組?」
そんなおざなりなツッコミだけで終わるなんて……。寂しすぎる。
「私たちはみんな四組よ。一年四組」
「そっか。なら私とは違うクラスだね。私はイシダナナエ。一年一組。よろしくお願いします」
ぐは。最後のよろしくお願いしますと言って頭を深々と下げたところに少しときめいてしまった。幼女パワー恐るべし。
「ナナエちゃんの中学はどこかね」
「……あまり言いたくないんだけど……」
もじもじする幼女。たまんねえな。
「言いたくないなら無理に言わなくてもいいぞ。何か理由があるんだろう」
「うるさい! 私は有穂中学校出身!」
「なんで俺がかばってやったら反抗してくるんだ――ってええ?! 有穂中学?! あ、有穂中って言ったらあの頭の良い連中が結集して秘密結社を作ろうと画策しているとかなんとかありもしない噂が立っている私立中学であるところの有穂中学か?!」
「ありもしないんだ」
部室にいるみんなが驚きで口が閉まらなくなっている。この反応は大げさでもなんでもなくそれほどまでに有穂中学というのは有名も有名な超超すごい私立中学なのだ! しかしおかしい。
「でも有穂中学って中高一貫だからわざわざこんな超普通の普通高校に来なくても……」
有穂中学が有名ならば有穂高校はさらに有名。そこに行けば将来がバラ色になると言われているほどに超超スーパーウルトラすごい高校。わざわざエスカレーターを飛び降りてこんなとりわけ特徴のない高校に着地するなんて正気の沙汰じゃない。奨学金やらその辺の諸々も充実していると聞くしお金がないからそんなものは諦める障害にならない。なのになぜこいつは人生の荒波に飛び込んできたんだ! 頭がおかしいのか?!
「俺が代わりに有穂行くわ! 近いし!」
「あんたに行けるようならニホンザルもテスト受けるわよ。檻の中のバナナも取れないようなあんたが何言ってるのよ」
「檻の中のバナナくらい取れますぅ。ダイソン使わせてくれたら五、六メートル先から吸引してやるますぅ」
「ああ、ヒカゲ君には無理だ。色々と」
失礼な。
「でも本当になんでこんなところに入学したんだ。理由はあるんだろう」
「……なにもない。なにもなかった」
俺たちから視線を逸らした。これは何も聞けないな。
「よし、自己紹介も済んだことだし今後の活動について話し合いましょうか。何をするとか、最終目標を決めるとか。何かしたいことがあったらどんどん意見して。サクッと行きましょう」
「ならこういうのはどうかな。あえて帰宅部を作るというのは面白いんじゃないだろうか。部活してるのに帰宅する、帰宅するための部活を作ろう」
「それはクラブにする意味はあるのかしら」
「帰りたいっていうのを怒られない範囲で訴えてみただけだから気にすんな」
怒られない範囲で訴えたはずなのにミユの視線が俺を射殺す。多分すぐに発言したら本当に殺されるな。しばらく黙っていた方がよさそうだ。
「やっぱり日傘同好会っていうくらいなら日傘の研究とかしてたのかしら」
「そんなつまんないことしたくない。楽しいことがやりたいな」
「漠然としてるねぇ。せっかくなんだからこの四人だからこそできることをするっていうのはどうかな」
「この四人で何ができるのかしら。一人はゴミでカスだし、実質三人よ」
俺じゃないことは確かだな。
「なんで私を見るの。ゴミでカスでウジで役立たずは変態に決まってるでしょ」
「小学生より役に立つ自信あるわ。俺は高いところの窓ふけるもんね」
「くぅぅ!」
俺の言葉に腹を立てた幼女が机を思いっきり叩き立ち上がった。
「こいつむかつく! クビ!」
「ありがとうございます」
俺は今までお世話になった礼を言って扉へ向かった。
「ナナエ、いいのかしら。ヒカゲ自分の爪の次は人の爪をはがしていくって言ってたわよ」
「うぇ、超最悪。最低最悪最凶最暗黒之東京だ。仕方ないから仮部員としていさせてあげる」
「結構です」
俺は三人に手を挙げ扉を開けた。
「じゃ」
教室を一歩出た俺に幼女が叫んだ。
「出ていくな! 今そのドアから出て行ったら次会ったときいじめるから!」
「ぜひお願いします」
喜んで。
更にもう一歩踏み出したところでミユがつぶやいた。
「今そのドアから出て行ったら次会ったときもう会えなくしてやるから」
「なるほど。分かりました」
小学生にいじめられたくないからという理由で俺は席に戻った。ミユが怖いからじゃないんだからね。
「幼女が怖いから席についてやる」
「あはは。ヒカゲ君棒読み」
仕方がないんだ。幼女が怖いからね。
「さぁ、よーし、そろそろ本腰入れて相談いたしやしょうか。これから私たちの青春をささげるような部活なんだから、充実したものにしようぜぃ! ひっひっひ!」
妙にやる気の藤村。
「あぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろう……」
ひそかに落ち込む幼女の姿は誰がどう見ても落ち込んでいると分かる。入部拒否すればよかったのになんで俺を入れたんだろう。
「おい幼女」
「幼女言うな」
「何のことで落ち込んでいるかは分からないふりをするからいったい何のことで落ち込んでいるのか分からないけど、あいつらはもう友達だろう。友達に心配かけるようなことするなよ。見てみろ、本気でこの部のことを考えて話し合ってんだぞ。部長のお前がやりたくないとか言ったらあいつら悲しむぞ」
「友達? ……この部に入ったら、友達?」
「俺はお前の友達じゃないから一概にそう言えないけどあいつら二人はもう親友通り越してると思うぞ」
きょとんと俺を見つめた後すぐにやる気に満ちた表情を作る幼女。
「……この部活のおかげで友達になれた……。なんだか、やる気がわいてきた」
「その意気だ。俺は部をやめるから後は三人で頑張ってくれたまへ」
俺は二、三日付き合ったらここにはもう来ない気でいる。部活なんて無駄だと思っているからだ。いつかやめなければいけないことだと分かっているなら、最初からやらなければいい。諦めなきゃいけない時が来るなら、最初からやらなければいい。やらなければよかったんだ。
「決めた!」
おもむろに幼女が立ち上がった。晩飯のメニューか何かを決めたのだろう。
「何を?」
ミユと藤村は話し合いをやめ幼女に視線を向けた。俺は何となく幼女の顔を直視するのが嫌で横目を見ることにした。
「今からすることを決めた!」
「おぉ、さすが部長やね。やっぱり部活に対する熱意が違うね。私は何でもついていく所存でありますよ」
「そうね、部長が決めたことに従うのが部員よね。ね、ヒカゲ」
「ん、そうな」
なんで俺に確認を取ったのかわからないが。俺は面倒くさかったので適当に返事をした。
一方幼女は周りを見渡して太陽も掠れるくらい眩しい笑顔で部室を照らしていた。
「今からこの部の決まりごとを決めます!」
「決まりごと? 部の掟ってことかしら。いやよ、部に縛られるようなきっついルールは」
俺もそれはご遠慮願いたい。
「わかった! 毎月部費を一万円持って来いっていう気だね。そりゃ無理でやんす。勘弁願おうぞ。せめて九千七百円にしてくれないかね。それなら楽勝で持ってこれるんだなこれが」
「三百円くらい頑張れや」
「安心して二人とも。部費もいらないし部に縛りつけようっていう気もないから」
ならいったい何を言い出すのだろうか。まあ、俺はやめる気満々だし今現在は仮部員としてここに座っているだけだから適当に聞き流しておこう。
そして大きな声で掟が発表された。
「この部を辞めることは絶対にダメだから! ほかの部に入ってもいいし、用事があるならここに来られなくてもいいけど、辞めることだけは絶対にダメだから!」
「なに当たり前のこと言ってるのよ。誰も辞めないわよ」
仮部員の俺には関係ないよな、という言い訳を用意しておこう。
「ナナエちゃん。それは仮部員にも適用されるルールですか。それが気になって一日二十七時間しか眠れません」
あ、こら、余計なこと聞くな。
「……」
俺を見下すように睨み付けてくる幼女。俺は小学生にだって手加減をしない男で有名だからその視線を迎え撃った。喧嘩を売るなら六十パーセント上乗せで買ってやる。周りが引くくらいぼこぼこにしてやる。グーパンチだグーパンチ。
「仮部員には……。まあいっか。適用されます」
「ええー、ちょっと待ってよそれ。俺この部続ける気ないんですけどぉー。そもそもその掟破ったらどうなるの」
幼女が顎に手を当て誰が見ても思案していると分かるポーズをとった。こいつはあれだな。あだ名はスケルトン胸裏だな。
そんな幼女に案を出すミユ。
「よし、じゃあ破ったら鉄拳制裁(ヒカゲに限る)ということにしましょう」
「何その(イケメンに限る)みたいなやつ。まあ俺がイケメンだから同じ意味って言えば同じだけどさ、こんなみんなの前でイケメンと呼ばれたら照れるというか、」
「あんた黙れ」
「はい」
怖いから黙ろう。
会話が途切れたタイミングで、かどうかは知らないが、一瞬の無言ののちに幼女がしゃべりだす。
「じゃあ、破った人がいたら、その人が謝るまでみんなで家に泊まり込む。どんなに煙たがれようが絶対に発言を撤回させる」
それは本当に嫌だな。
それにしてもこの部員を逃すまいとする必死さ。それほどまでにこの日傘同好会をつぶしたくないんだろうな。
「じゃあそれで行きましょう。分かったわねヒカゲ。この部辞めたらひどいから。腕の一本や二本覚悟しておきなさいよ」
「ねえ、それ罰ちがくない?」
まあいい。辞めないで幽霊部員になってやる。それで一件落着だ。
「ナナエちゃん。幽霊部員になった場合にもなにかペナルティがあるんですか。それが気になって目をつぶったまま歩けません」
「普通歩けんわ」
そんなことよりこいつは俺の心を読んでいるのではなかろうか。
「うーん、じゃあ理由もなく部活に来なかったらみんなで家に遊びに行く。部活に来なかった人の家がその日の部室になるっていうのはどうかな」
「それでいいわ。でもヒカゲの部屋には入りたくないわね。どんなエロいものが落ちているのか想像しただけでもぶっ飛ばしたくなるわ」
「それ行動に移さなかったらどんな想像しててもいいよ。多分大体あってるから」
「変態」
殴られた。SEも何もなく殴られた。
それにしても……。楽な部活を求めてここを選んだのにどうにも一番面倒くさいクラブに入部してしまったようだ。毎日強制なんてとんでもなくスパルタな部活だな。しかし活動内容が一切わからないってのはなんかおかしい気がするぞ。
「では、さっそく部活を始めたいと思います!」
部長の元気な掛け声で俺たちの最初の部活が始まった。しかし、何をするんだっての。
日傘同好会。部員三名、仮部員一名。部長・幼女。暴行係・ミユ。人生の電灯・藤村。皆勤幽霊部員・俺。
嫌なメンバーだな。
部室でだらだらと雑談をしているといつの間にか空が赤く変わり、夜が顔を出し始めていた。
日傘同好会初日はミユの帰宅宣言で終了という形になった。
最初部室に入った時に見た顔とは五百四十度違う表情で部長が飛び出していき、それに続いて藤村、ミユが教室を後にした。
バイトの時間までもう少し時間がある。少しこの学校を探索して帰るか。
教室を出る際、誰もいなくなった部室を一度だけ振り返り学校探索へと乗り出した。
探索とは言っても部活探しの時にあらかた校舎内を回ったので見ていない場所はそれほど多くはない。未踏の地と言えば職員室、生徒会室、屋上、開かずの教室それに女子トイレくらいか。
職員室にはあまり興味をひかれないし生徒会室にもこれといった魅力を感じない。開かずの教室と女子トイレには多少の興味があるものの一方は物理的に不可能、もう一方は超犯罪ときているので俺は消去法で仕方なく屋上へ向かった。
そして行き着いたわけだが、悲しきかな階段の終点にある屋上行の扉には鍵がかかっており、屋上への侵入も物理的に不可能であることが分かった。
俺はポケットに入っているクリップ伸ばしピッキングまがいのことにチャレンジしてみたのだが鍵穴に傷をつけただけで、その閉ざされた鍵が回ることはなかった。
今立っているスペースを軽く見渡してみると、お菓子のゴミやら未成年が吸ってはいけないものを消したと思われる黒いあとやら扉があかない証拠がちらほら見えた。
お菓子のゴミなんかは排水管か何かのパイプの裏に隠されていて審美性を重視したくそ野郎の気遣いを感じられる。この焦げなんか絶対に吸ってますよアピールじゃんか。何考えてんだ?
そんなことはまあどうでもいい。こんなところを教師に見つかりでもしたらあらぬ疑いをかけられ面倒くさいことになる。そうじゃなくても掃除をさせられる気がするので早めにこの場を離れよう。
段ボールを被り蛇のごとく扉の前を離れ無事に下駄箱にあるメタルギ何とかを破壊することに成功した。ゴメン俺も意味わからない。とにかく下駄箱にたどり着き靴を履いた。次のミッションはバイト先への潜入だ。まだタイムリミットまでたっぷりある。ゆっくり体力を回復させながら潜入場所へと向かうとしよう。匍匐前進でもしながらさ。
俺のバイトは七時から仕事が終わるまで。親戚のおじさんの手伝いだ。
昨日おとといは入学したばかりだから休みにしようというおじさんのよく分からない厚意で無理やり休養を取らされた。時間つぶすのに困ってしまうので休みはいらないって言ったのに。
「いや助かる助かる。仕事してたらこういう雑務が面倒で面倒でしょうがないんだわ。昨日とかもう涙流しながら水回りの掃除したんだからヒカゲの存在は大きいわ」
正直なところ。俺はおじさんにかなり迷惑をかけている。絶対に俺はこの職場に必要にない人間なのだが、俺の家庭環境を知っているおじさんが無理やりバイトとして雇ってくれているのだ。自分でお金を稼ぎたいとおじさんに相談したのは紛れもなくこの俺だが、こんなにお世話になってしまっていたら申し訳なさが天を超えてしまう。
「そんで、まだ兄貴との関係を修復できていないんか。高校入学を機に少しは仲良くやるもんだと思ってたけど、違ったか」
机に向かっていた叔父さんが椅子を回し箒で床をはく俺に体を向け話しかけてきた。くだらない話をするときはたいてい仕事が暇な時だ。暇なら俺を雇わなければいいのに。金は大丈夫なのか?
ちなみにおじさんは俺の叔父さんである。なにかと面倒を見てくれる独身男性だ。
「絶対に無理だ。母さんを捨てたあいつなんかと仲良くできるわけない。だってそうだろ? 早すぎる。絶対に不倫してたんだあの野郎。最低だ」
「男だからしょうがない部分もあるってのを知っておけよ。男ってどうしようもない生き物だからさ」
「そんなの言い訳にもならねぇ。あいつら全員死ねばいいんだ」
「おいおい、高校の学費払ってもらってるんだから感謝くらいしたらどうなんだ」
「いつか返す。倍にして返してやるよ。だから礼なんて言わねぇ」
「でも今お前には払えない。肩代わりしてもらったにしても感謝しなくちゃな」
「……そうかもな」
この話は面倒くさいので適当に流すために同意をしてみたが、嘘でも胃がひっくり返るくらいのストレスを感じてしまった。暴れてストレスを発散したいが、ここで暴れてはいい仕事口を失ってしまうので帰りに暴食して何とかおさえこもう。それまでに俺の胃が持つか心配だ。
「ま、本当は分かってんだろうけど」
そう言って机に向かった。
ちらりとおじさんが手に持っているものを見たが、どうにも仕事とは別のことをしているようだ。もしかしたら仕事は終わっているが、俺の時間をつぶすためにここに残ってくれているのかもしれない。変な人だけどこういう人が親だったらよかったな。あいつと兄弟だなんて思えない。
「ありがとうございました」
「うい。んじゃ明日もよろしく」
「はーい」
今日は九時に終わった。ああ、まだ時間がかなりある。遠回りして帰るか。ついでにどこかで暴食しなければ。ひとまず動こう、ここで突っ立っていたら何の面白味のない時間つぶしになってしまう。
俺は最初の目標をファミレスに定め、暗い夜道を踏みしめた。
黙々と歩きファミレス前。怪しい男がファミレスの中を覗いていたがおそらくストーカーなので関わらない方向で行こう。無視してファミレスへ突入。晩飯時は少し過ぎたにもかかわらず店内は客でごった返している。繁盛しているのはいいことだ。しかし『何名様ですか?』と聞きに来ないのはいいことじゃない。勝手に座っていいものかどうか迷ってしまうだろう。勝手に禁煙席に座っちゃうぞ?
まあそんなことはせず、何もできないのでぼーっと突っ立ていたところ、やっと俺に気づいたウェイトレスがお決まりのマニュアル行動をとってくれた。
「……もしかして、葉野君、だっけ?」
マニュアル行動じゃない! つまり俺の中のマニュアル行動も通用しないわけだ。
『何名様ですか』
『一名です』
そんな展開を想像していた俺は見ず知らずのウェイトレスに名前を呼ばれ、どぎまぎした対応を見せてしまった。
「ウェイトレスさん何者? 俺の身辺調査をしている探偵? それとも俺が幼いころ名前を付けて遊んでいた近所の野良ネコが人化して俺に恩返しをしに来たのか?」
どぎまぎできなかった。
「まあ、入学して日にちも浅いし、仕方がないか。私も千帆高の一年四組だよ」
「え、マジで。なんで声かけてくれなかったの」
「今かけてるでしょ。やっぱり葉野君は変な人だね」
「面と向かって面白いだなんて言うなよ。照れる」
「言ってないけど」
「言ってなかったか。ごめんな、聞き間違えたよ、猫田」
「猫田じゃないし」
「三洋寺だっけ?」
「そんなに珍しい名前なら忘れないでしょ」
「だったらなんなんだよ。教えろよ」
「うわー、すっごくエラそう」
「実際すっごくエロいしな」
「エロじゃないって」
「違ったか。ところでお前の名前何?」
「これ」
そう言って大きな胸を突き出してきた。揉めばわかるってことかな。
仕方がないのでいやいやながらも鼻息を荒くし手を伸ばしてみた。三十センチ、二十センチ、十センチ、五センチ! 三センチ!!
「……」
何のツッコミもないのでこれ以上手を伸ばしたら犯罪になってしまう。俺は手を引っ込めた。……ツッコミがほしかった。ツッコミがあればコミュニケーションと言い張れたのに。
うなだれながらもウェイトレスの胸についている名札を読んでみた。
「保志野。ふーん。聞き覚えねぇな」
名前からすると藤村のすぐ後ろのやつなんだろうな。まあ、なら覚えてなくても仕方ないか。
「私は保志野チリ」
「チチ? 名は体を表すというが、その通りだな。なんとエロい名前だ」
「保志野、チ・リ」
「なるほど。『星の塵』か。今後お前を呼ぶときはスターダストと呼ぶことにしよう」
「それ会った人みんなが言ってくる」
なんだ。じゃあ呼ばない。
「保志野の家はこのあたりなのか?」
「うーん? まあそんなところ。葉野君の家も近いの? って、中学校違ったからこの辺には住んでいないよね。制服着てるってことは学校から直接ここに来たんだね」
「バイトの帰り。まさか同級生に会えるとはな。いつからここでバイトしてんの。何回かここ来たことあるんだけど」
「中三から。あ、でも中学校からっていうのは内緒にしておいてね。年齢偽ってバイトしてたんだ。ばれたら首になるかも」
「ふーん」
確かにこの保志野という人物。大変スタイルがよろしくてございます。背も高ければ胸もでかい。高一には見えない美人系だ。年齢を偽っていてもばれやしないだろう。保志野自身から同級生と言われなければ俺は年上と勘違いしていただろうし。
「んで、そろそろ席に案内してほしいんだけど。なんならここで食ってやるぞ。オムライスとシーザーサラダ。お前もか」
「ごめんごめん。おタバコは吸われませんよね。禁煙席でよろしいですね」
最初から決めつけてやがる。まあ、仕方がないけれども。
「シーザーサラダ。お前もか」
席に案内されているときに、先ほどスルーされたギャグをもう一度言ってみた。
「どうぞこちらへ。オムライスとシーザーサラダですね。すぐにお持ちいたします」
「シーザーサラダ。ブルータスよ、お前もか」
「ではごゆっくり」
徹底無視だった。もしかしたらシーザーじゃあ通じないのかもしれない。持ってきたときに聞いてみよう。
結局料理を運んできたのは別の店員さんで、保志野にシーザーのことを聞くチャンスは訪れなかった。残念だったな。
正直な話、ファミレスはあまり好きではないのだが、同級生がいるとなれば話は別だ。常連客になろう。
たいして美味しくもないオムライスとサラダを食べ、十時、保志野に別れを言うことなく店を後にした。
時間は十一時。一日で一番嫌なイベントを残すのみとなった。
帰宅。
学校のつまらない授業を受けるよりも、くだらない部活に精を出すよりも、適当に暇な時間をつぶすよりも嫌なことだ。狭い空間で同じ空気を共有していると思うとオムライスがサラダと混ざって現世に舞い戻ってきてしまいそうなほどに吐き気をもよおしてしまう。いやだいやだ。風や雨は我慢するから、俺の部屋だけ壁をぶち抜いて最高の通気性を確保してくれないだろうか。
……こんな非現実的なことを考えても仕方がない。ホームレス生活より幾分かましなこのクソみたいな場所で寝泊まりするしか俺には選択肢がないんだから、とっとと家の中に入ろう。そうだ、これは生きるために必要な仕方のない事なんだ。
そう自分に言い聞かせて扉に手をかけた。
扉を開いてまず見えてくる廊下。そこにあほみたいに突っ立っているやつがいた。
「あ、お兄ちゃんおかえり。バイト?」
「……」
俺は無視して二階の自分の部屋へ向かった。
全員が寝静まってから風呂に入ろう。
そんなことを考えながらベッドの淵に座った。今日は疲れた。疲れた理由は変な部活に入部してしまったことが大部分を占める。
何やってるんだか。
もう二度と部活はやらないと心に決めていたのに。
なんでこんなことになってしまったんだ。
「……」
扉が開いた。
「お兄ちゃん、……その、晩御飯は……」
うざい、うざいうざいうざいうざいうざい、うざい!
「しめろ」
俺は余計につかれたくなかったという理由をつけてできるだけ小さな声で言った。
「え?」
聞き返してくる態度にむかついた。
「失せろって言ったんだよこのボケ! 殺すぞ!」
「ご、ごめん」
慌ててドアを閉め俺の部屋から遠ざかっていく妹。
ああ、くそ……、もう! なんなんだよあいつ! 腹立つ……。
顔さえ合わせなければこんな気持ちにならなくて済むのに、なんであいつは俺にちょっかいを出してくるんだ? あいつは俺を苦しめて楽しいのか?
「……殺したい」
いっそ、俺を殺してくれ。
ああ、いや、自殺はできないんだ。なんでだか。
学校は面白くないし、バイトも面白いわけじゃない。ここは地獄だし、はっきり言えば俺が今の人生で楽しいと思えることなんてほとんどない。友達と話しているときくらいなもんだ。
そんな俺が、この世にいる必要はあるのか?
自殺なんて、何度も考えた。
死のうと思ったときに何の未練も残らない自分にうんざりした。本気で、死んでもいいと思った。死にたいと思った。
でも、ふと気が付くと俺はやめていた。
包丁を持って、手首に当ててみたが、いつの間にかおいていた。
窓を覗いて、上半身を投げたしてみたが、いつの間にか座っていた。
石を抱いて、海に潜ってみたが、いつの間にか青空を見上げていた。
何故だろう。俺には死ねない理由があるみたいだ。
それを見つけたら、きっと次へ進める。
今はそれを見つけることが俺の生きる目的だ。
「風呂はいろ」
今日の眠りは最悪だった。