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@金曜日 占い
朝だ。さっさと学校へ行こう。
何度も繰り返した動きで手早く身支度を整え誰とも遭遇しないように急いで外へ出た。
道路に立ち左右を見渡してみるがミユの姿は無かった。何となく昨日かかってきた部長からの電話を思い出してほんの少しの間だけミユを待ってみることにした。
大して時間も経たずにミユはやってきた。
「あんた何してんのよ。お腹でも痛いの」
何をするでもなく玄関先に突っ立っていたのが不思議だったようだ。
「そんなところ。偶然会えたことだし一緒に行くか」
「あんたにとっての偶然の意味をぜひ教えてもらわなくちゃいけないわね」
「別にお前を待っていたわけじゃねぇよ」
「はいはい。あんたが何をしていようがどうでもいいわ。さっさと行きましょ」
「うい」
五分後。ここまで無言で来たので何か話しかけづらいが、ミッションを遂行せねば怒られてしまう。しかし突然占いのことを聞いたら怒られてしまうから遠回り遠回りで聞かねば。
「あー、俺新しいカバンほしいな」
「買えば? バイトしてるんだからお金はあるでしょ」
「そうだな。あれ? なんかミユのカバンかっこいいな」
「結構いいでしょ。でもこれ安物なの。ショッピングモールで買ったのよ。これならギリギリ校則に違反してないしね」
嬉しそうに掲げて見せてくれた。
「ふーん。それ売ってくれよ」
「なんでよ。行けば新品が売ってあるんだから面倒くさがらずに行きなさいよ」
「いや、ミユの使ったカバンがいいんだ」
「は? あんた何言ってんの? コウジ君ならともかくあんたみたいなやつに売るわけないでしょ」
「えー、いいじゃん売ってくれよ」
「いやよ」
「え? 売ってくれるって?」
「売らないわよ」
この言葉を待っていた。
「あ、『うらない』と言えば今日の占いどうだった?」
なんと自然な流れなのだ。これだけ自然な会話ならばミユだって何の疑いもなく話してくれるだろう。
「……あんた話が飛びすぎよ。混乱するから訳の分からないこと言わないで」
……もしかして、怪しまれてる?
「訳の分からないことはもう言わないから、占いの結果は」
「見てないわよ」
「……あっそ」
「なにそれムカつくわね。何が聞きたかったのよ」
「別に。そういえばお前占い嫌いだもんな」
「知ってるなら聞かないでよ」
計画は早々に破綻してしまったようだぞ、部長。これからどうするんだ。
教室に入った途端おかしな一人ミュージカルに遭遇した。
「ミユちゃ〜ん、ヒカゲっち〜。おーはーよーう〜」
「おはようキイロ。今日もテンション高すぎるわね」
「私のテンションはヴァンアレン帯をも突き抜けてしまうんだぜ」
朝っぱらからこのテンションはおなかにズシンと来るな。
「おやおや。ヒカゲ軍曹は体調不良ですかな。そんな時にはこれ。『ナマタマゴー』。これをあげよう」
「いらん」
生卵で元気になれる人間がいるのなら見てみたい。
ミユは関わるのが面倒だと思ったらしく、藤村の隣を通り過ぎて教室の一番角の席に座った。
それを後頭部に付いた目で確認した藤村がこっそり俺に聞いてきた。
「任務は聞いておられるか軍曹。重要ゆえに君にしかできない特別な任務だ。首尾は」
「見てないってさ」
「……ヒカゲ君が?」
「ミユが。あいつ占い嫌いだからな。そら嫌いなものは見ないわな」
「……占いを信じていることがこの作戦の大前提なのに占いを信じていないとはこれはどういうことでありますか軍曹」
知らねえよ。何の情報もなく作戦を立てたお前らが悪い。それに俺昨日言ったでしょ。ミユは占い嫌いだって。
困った顔をした藤村はおもむろにロッカーへ飛び込み姿を隠した。
どうやっても好奇心は抑えきれず耳であとを追ってみる。
「隊長、ミユ嬢は占いを見ていないらしいです。どうしましょうか」
「ええ、しかも占いが嫌いらしくて信じていないようですよ。え、知ってたんですか。これから信じさせる? マジっすか。ああ、なるほどなるほど」
藤村と会長の会話を盗み聞きしていると俺のポケットが震えた。
あ、電話か。
携帯電話には知らない番号が。誰からだろこれ。
一応出てみる。
「もしもし」
『じゃあこれから二人に作戦を伝えるから』
「お前かよ! なんで昨日と番号が違うんだよ!」
『細かいことはいいから。それで作戦なんだけど、とりあえずキイロは渡したあの本をミユの前で読んで』
「あの本ってなんだ? 何渡したんだ?」
『占いの本』
なるほど。作戦の内容は全く分からない。
「どんな作戦なんだよ」
『『あれ? 聞いてない? 占いの内容を現実にさせるっていう簡単なことだよ』』
携帯の向こうから藤村の声が聞こえてきた。どうやら携帯電話同士で会話させているようだ。
「現実にさせるってどういうこと。俺には夢を現実にする力も不可能を可能にする力もないけど」
『『丈夫な体があるじゃない』』
やっぱり体一つでやるのね。
『とりあえずキイロはミユに占いの結果を教える係、ヒカゲはそれを叶える係。私はここで見守る係』
「断っていい?」
『『ヒカゲ君。ミユちゃんのためなんだぜ。男なら灰になるまで好きな女のために尽くして見せようぜ』』
「好きじゃねえ。それで、俺は何をすればいい」
『だから、キイロがミユを占う、その結果を聞いてヒカゲがそれを叶えればいいんだって。簡単なことでしょ?』
まあ、聞いた感じは簡単そうだけども。
『最初は占いを信じさせるために恋愛運以外を占う。そして信じさせたところで恋愛運をガツンとかますというわけです。それじゃあ、後は任せたよ』
電話が切れた。簡単に言ってくれるな。
携帯をポケットにしまうのとほぼ同時にロッカーから藤村が出てきた。
「おわ、ヒカゲ君いつからそこに。こんなに近くなら電話しなくてもよかったのにねぇ」
最初から気づいていただろうとは面倒くさかったので言わなかった。
ふと藤村の持っているものを見ると、ピンク色の雑誌が握られていた。
「本っていうのはそれのことか?」
「そうそう。一か月分の占いが乗っているっていう変な雑誌なのさね。ためしにヒカゲ君を占ってみよう。ヒカゲ君は何座? もしくは何型?」
「うお座のA型」
「えーっと、四月のうお座は……おお、最高最高超最高。何をやってもうまく行きすぎるでしょう。さらにA型ならより最高。人類が滅亡しても一人だけ生き残れるくらい強運を持っています。すごいねこれは」
一人生き残ることは運がいいと言えるのだろうか。
まあいい。今日の任務を遂行するにあたって景気のいい話ではないか。よし、頑張るぞっ!
そして作戦は始まった。
「おお、ミユちゃんおはよう」
「さっき挨拶した気がするけど」
「え? 今なんと? 今日の運勢が気になるなぁ?」
「それどういう聞き間違い? 幻聴?」
「なになに。今日のふたご座の仕事運は」
「仕事してないけど」
「子供の仕事は勉強することです。そういうわけで仕事運は……、あー、最悪だね。年下の男性に振り回されるでしょう。回避するためには年下の男性をぶん殴れば何事もなく過ごせます」
「年下の知り合いなんていないけど。やっぱり占いなんて当たらないのよ。仕事運とか、恋愛運とか、そんなもの存在するわけないじゃない。自分の努力で何とかなるものなのよ、人生っていうのは」
「まあまあ、ただの遊びだと思って。それに年下ならいるではないですか」
ここで俺の登場だ。
「どーん!」
ミユの机の上に飛び乗り丸くなった。
「……あんた何してるのよ。どいて」
「はーっはっは! これで勉強できまい! 仕事運が最悪という占いは当たっているようだな!」
「年下の男性じゃないわよねあんた。同じ学年じゃない」
「俺の誕生日は二月だからな。お前より若い」
「あーはいはい。分かったからどいて」
「いやだ!」
「何がしたいのよ。意味が分からないわ」
「俺もわからない。しかしここはどけないのだ」
「はぁ。……どかないなら殴るわよ」
「殴りたければ殴れ! それでお前の気が済むのなら好きなだけ殴ればいい!」
「そうする」
思いっきり横っ面をぶん殴られた。
俺は細胞レベルまで粉砕され一つの山となった。その新たな山は一つの川をせき止め一つの村を沈め一つの湖を作った。その湖は新たな命をうみだし、そこで生まれた命は陸に上がり足が生え、二足で歩くようになり知能を得て進化して進化して進化して俺が誕生した。
「訳の分からないこと考えるんじゃないわよ」
「いてぇよ! 顔がいてぇよ!」
「あんたがどかないのが悪いのよ」
「おおー。ミユちゃん占い通りじゃないかね。占いあたってるじゃないかね。すごいじゃないかね」
「なんか納得いかないわ。当たる当たらない以前の問題な気がするのは気のせいじゃないわね」
「当たってる当たってるぅ〜」
ごちゃごちゃ言われる前に俺と藤村は自分の席へ戻った。
「何だったのよいったい」
授業間の休み時間。
「ミユっち。今日のレジャー運を占おうではないかね。なになに? レジャー運は……今日は部屋の中に閉じこもっているのはもったいないくらいに素晴らしい日になるでしょう。ラッキーアイテムはボーリングの球。ラッキーパーソンは同じクラスの幼馴染の男だって」
「レジャーねぇ。平日にそんなこと言われてもどこにも遊びに行けないじゃない。やっぱり占いなんて当たるもんじゃないわね」
ここで俺の登場だ。
「ミユ! 外へ行こう!」
「何よいきなり。ってちょっと! 痛い!」
俺はミユの手を取りグラウンドへと向かった。
「放して!」
グラウンドへたどり着く前に手を振りほどかれた。
廊下で俺を睨みつけるミユ。その瞳には怒りしか映っていない。
「何なのよあんたわ!」
「ほら、こんなにいい天気じゃないか……。外へ出ないなんてどこのキノコだって話だろ。さあ、外へ出よう」
「……」
ミユは無言で来た道を引き返した。
「ちょっと待って!」
このままでは何の意味もない。なんとしても引き止めなくては。
「ミユ! 待てって!」
俺はミユの肩をつかみ無理やりこちらを向かせた。
「いた、なによ!」
……。この後どうしよう。占いの結果は素晴らしい日だったよな。この後どう素晴らしい日につながっていくのかを教えてもらいたい。
「……なんなのよ」
「その、あの、えっと、ですね。俺と……」
「……はっきり言いなさいよ」
廊下で見つめあう二人。これはまるで俺が告白しようとしているみたいじゃないか。……いや待てよ? 告白された日っていうのは素晴らしい日になるのではないか? たとえそれが好きな相手ではなかったとしても告白というものは須らくうれしいものだろう。
「俺、お前のことが」
唇が渇く。喉が渇く。拳が震える。言葉が出てこない。
「す――」
「きもっ……」
そんな俺に対しミユの目は明らかに汚いものを見る目で嫌悪感を露わにしていた。
そりゃそうだ。嫌いな相手に告白されたら最悪に決まっているだろう。ここは作戦を変えねば。
「お前のためにコウジを誘ってみようと思うんだ。放課後時間空けておけよ」
「はぁ?! な、なんてことしようとしてるのよ! い、いきなり無理よそんなこと! いらない!」
「なんでだよ、素晴らしい日になるだろう」
そうだ。何も今このときを素晴らしい日にしなくても放課後素晴らしい日が待っていると思わせれば俺の任務は無事に遂行されたということになるのではないか?
「無理だってば!」
「お前そんな意気地のないこと言ってるから先に進まないんだぞ。誘うからな。一緒に遊びに行けよ」
「無理よぉ!」
ミユが何かを振り上げた。
「……なんでそんなものを……」
「無理なのよ!」
ミユの手にはボーリングの球が握られていた。ミユはそれを躊躇なく――
昼休み。
「ミユミユ。今日の金運をチェックしてみよう。あなたの金運は……最高の一日になるでしょう。今日はお金に困らないどころか一緒に登校してきたイニシャルH・H君がとち狂ってお財布をまるまる差し出してくれるでしょう」
何そのピンポイントな占い! 占いっていうか予言?
「葉野陽陰。あ、あいつH・Hじゃない。あいつが財布くれるわけないわよ。占いなんて当たらない当たらない」
「わっかんないよー。ほら、今にもヒカゲ君がお財布を渡してくれそうな気配が……」
さすがにそれは無理だ。そもそもなんで俺はこんなに損な役回りをしているのだ。今朝は殴られ休み時間は生死の境をさまよい今カツアゲまがいのことをされなければならないのだ。もういやだ。俺は降りる。
「いて!」
俺が何もしないという意思表示として椅子にどっかりと座っていたら虫にでも刺されたような痛みが首筋に走った。
首をさすりながら痛みの方向に目を向けてみると、ドアからこちらを睨み付けている小さな女の子の姿があった。
言わずもがな部長だ。なにしてるんだ。右手には細い筒、左手には文字の書かれたスケッチブック。
なになに?
『今毒を刺した。解毒剤は黄色が持ってる。任務を遂行したら渡してもらえる』
毒とか。マジ笑える。
藤村を見ると素晴らしい笑顔で何かの錠剤を振っていた。あれが解毒剤? ないない。ありえない。
ひょんな物がありゅわちぇ無いだろう。毒とか、そんなこちょで死んだら一大ニューチュににゃるじょ。
「ミユ様これをお受け取りください!」
片膝を立ててミユに財布を差し出した。
「は? なんであんたからお金もらわなくちゃいけないのよ」
「ひょん、そんなことはどうでもいいからうけちょ、受け取ってくりゃれ」
「……あんた何言ってるの? 頭でも打った?」
頭は少し前にボーリングの球で打ったわ! なんて言う暇がない。
「いいきゃらうけちょっちぇきゅりぇ!」
「……あんたキモいわよ。でももらえるならもらっておくわ。ありがとう」
ミユのが俺の手から三万六千二百四十七円を掻っ攫っていった。
「ひゅじゅみゅりゅ……! ひゃひゃひゅ」
もう言葉が発せない。
「よく頑張った。これをあげよう」
藤村の差し出した手に乗っていた錠剤を受け取り水なしごっくんした。
「……あー、あー。葉野陽陰。あ、戻った」
「何言ってるのあんた」
「うるさい。死ぬところだったんだ。それよりお前財布かえ――」
俺の耳をなにかが掠った。
見なくてもわかる。吹き矢から放たれた毒矢だ。これが意味するところは聞かなくてもわかる。よーし、俺諦めちゃうぞ。
「言いかけてやめるの気持ち悪いからはっきり言いなさいよ」
「……返さなくてもいい」
今日の俺は厄日だ。占いでどれだけ最高だと言われようが今日の俺は最悪だ。占いなんて当たるもんじゃねえ。
「占い当たりまくってるねぇ〜。すごいよこの本、ミユちゃんの運命がそのまま書かれているんじゃないかな」
「まあ、この本のおかげでヒカゲの財布を手に入れられたし、少しは信じてもいいかもしれないわね」
努力のかいがあったのか、少し傾いているぞ。
もう俺の仕事は終わりでいいだろう。あとはこいつ自身の信じる力に任せるしかないな。
俺は自分の席へ戻り失った三万円とちょっとの穴は賭けで勝った三万だけじゃあ補えないなと、なんとかもうけを増やすことに頭を回した。当然昼飯は抜きだ。
「そしてついにやってきました本番の放課後!」
そう言って叫ぶ部長の顔は晴れやかを通り越して眩しいくらいだ。
ここは屋上。ミユのいないところで作戦会議を開くために部長がミユ以外の部員をここへ呼び寄せたのだ。
「作戦はここまで順調に来ています。あとは恋愛運をでっち上げてそれをミユに伝え少しでも自信をつけてもらおうという作戦が残るのみとなりました」
だったらそれを早く実行してもう後は若い者に任せておこうよ。
「でっちあげるってぇと、その内容はどんなものなんですかいボス」
「適当でもいいよ。こうしたら二人は結ばれますとか、あれしたらいいことありますとか」
「でも行き過ぎたこと言うなよ。いきなり告白したらオッケーもらえるみたいなこと言って本当に告っちゃったら撃沈必至だぞ。今あるところから踏み出せるくらいの内容にしよう」
「そだね。コウジ君はあまり特別な感情を抱いていないみたいだし、少しずつ仲良くなれるようにこっちで調節してこ。これが成功したら終わりってわけじゃなくて、これからにもつながる作戦だしね。ゆっくりゆっくり歩いてもらおう」
なんだかうまく行きそうな気がしてきた。思い込みの力とは素晴らしいものがあるからな。占いを真にうけて一歩踏み出す勇気を得られるならそれは素晴らしい事だろう。
「それじゃあなんて言えばいいのかヒカゲも考えてよ。現状を一番把握しているのはヒカゲなんだからなんて言えばいいか分かるでしょ」
急に言われたら困る。とりあえずこいつらに任せてまともな案が出ないと第一印象が叫んでいるので頭を捻って案を考えてみた。
「んじゃ、あいつ確かコウジの連絡先とか知らないからそれを聞かせようぜ。そうすりゃ今後二人で連絡取りあえるし知らないところで進展するかもしれない。……そもそも今まで知らなかったことがおかしい」
「ふーん。じゃあそういう風な内容にしよう。『今日のあなたの恋愛運はなかなかいい感じ。思い切って連絡先とか聞いてみたらいいかも』みたいな」
「うっしゃー! じゃあ、早速部室に赴こうではないですか!」
藤村が立ち上がり握りこぶしを突き上げた。
「いくぜ! みんな!」
一人屋上のドアへ向かっていった。面倒くさいやつだな、とりあえず気がせいている藤村を引き止めることにする。
「チョイ待ち。みんなで言ったら怪しまれるだろ。部活に遅れる理由はみんなバラバラにしたんだから部室に行く時間もバラバラにするのが普通だろ。それに俺はコウジのやつを連れてこなくちゃいけないし。先に行っててくれよ」
「そのコウジっていうのはまだ帰ってないの? 帰宅部なんでしょ。もう学校にはいないんじゃないの?」
「用事があるから残っていてくれってお願いしたから多分まだ教室にいると思う。じゃあ俺はコウジを迎えに行ってから部室に向かうから、それまでにお前らは占いの結果を伝えておけよ」
「へぇ。なかなか仕事のできる奴だねお前は。この任務が成功したら仮部員から昇格させてあげなくもないよ」
いらんわそんな褒美。
「いいからさっさと行け」
すぐに二人は出て行った。
「……ふぅ、賭けに勝つことは一苦労だな」
しばらくぼぅっと空を見上げていたがすぐにあきたのでコウジを迎えに行くことにした。お尻をはたきながら立ち上がり俺も校舎内へ戻ろうとドアに手をかけた。ここでふとあることが頭をよぎった。
この前来た時はここのカギしまってたよな? なんで今日は開いてるんだ。いや、あの日がたまたましまっていたのかな。……まあ、どうでもいいわな。
二人から遅れること十二分。俺はコウジを連れて日傘同好会の部室にやってきた。
「俺なんかが部室に入ってもいいのか? 怒られてしまうのではないか?」
「誰が何で怒るんだよ。そんなに身構えなくてもいいっての」
「そうか。ん? そういえばまだ何部か聞いていなかったな」
コウジがドアの上にあるプレートに目をやった。
「日傘同好会? なんだそれは。日傘についていろいろ語らう部活なのか。これはまたずいぶんと毛色のおかしな部活に入ったな」
俺とプレートを交互に見比べ楽しそうな笑顔を作る。
「仮だけどな。んじゃ、入ろう」
俺は部室の扉を開けた、のちすぐに後悔。
古代帝国神殿奥地にある宝を守るトラップのごとくよける間もない鋭い投球(ボーリングの球)が俺の顔面をとらえて、勢いそのまま俺の体は廊下の窓ガラスに叩きつけられた。投げた人間は言わなくてもわかるから言わない。
「なんで廊下からコウジ君の声が聞こえるのよ! あんた約束したじゃないのよ!」
「……」
「何とか言いなさいよ!」
「……こ……ろさ……ない……、で」
「そんな言葉を聞きたいんじゃない!」
「やっぱり俺は来ない方がよかったのか?」
申し訳なさそうなコウジの声。ああ、これで俺は助かるな。部活が終わるまでの短い間だがな。
「そんな! ぜひ来てほしいって私がヒカゲに頼んだの!」
このアマ、印象あげようとしやがって。そんなにいい印象を与えたいのなら俺をいたわれ! この口が動けばギャンギャンうるさく怒鳴り散らしてやるのだがボーリングの球がめり込んでしまっているので仕方がない。今回は諦めて二人の様子でも眺めてにやにやしておこう。
「ささ、どうぞ入って」
「ああ、お邪魔するぞ」
俺は締まるドアを見て、完全に忘れ去られていることに少しだけ、本当に少しだけ、寂しくなって泣いた。
っていうか、あいつ、むかつく。
俺の前歯が全部なくなってしまったが今は任務を遂行することだけに集中しよう。いつか生えてくんだろ。
さあ、ミユよ。これまでずっと欲していたコウジのアドレスをゲットする絶好の機会だ。今回を逃せばもうお前にチャンスも勇気もわいてこないぞ。そんな気持ちで俺たちは机を挟んで、ミユとコウジと向かい合っている。
タイミングを見計らうかのようにちらちらとコウジの方を向いているミユを見るに、藤村たちは無事に占いの結果を教えてやったみたいだな。
それにしても。
「……」
「……」
「……」
こうも無言が続いては不自然ではないか。ミユがしゃべれないのはまあ分からないでもない。緊張しているのだろう。コウジがしゃべらないのもまあ分かる。知らない部室に連れてこられたんだから何話していいのかわかるわけがない。しかし藤村と幼女が鋭いまなざしでミユを睨んでいることはこの場においてかなり不自然だ。お前ら何か楽しい会話でもして場を和ませろ。
「ヒカゲ」
コウジがいぶかしげな表情で俺に問う。
「なに」
「まだ部活は始まらないのか? お前が見学をしていけと言ったから寄ったのだが……」
まあ、無言で向かいあって座ることに何の意味も見いだせないわな。俺もだから仕方がない。
「なんか用事あって早く帰りたいのか?」
「いやそうじゃない。俺は暇な人間だからいくら遅くなっても構わない。そこは気にしてもらわなくても心配ない。だた、ヒカゲを入部に至らしめた活動内容とはどんなものであろうかと以前から気になっていたものでな。ぜひ見てみたいなと、先ほどからうずうずしているのだ」
あー、残念ながら部活はもう始まっているのだよ。お前の見たい活動内容は、こうやって無意味な時間を過ごすということだけなんだ。しかも俺仮入部しているのは強制的にであって、この日傘同好会に惹かれて入っているわけじゃないんだ。ゴメンよ。
「まあ、いいじゃん。今日は雑談日にして仲良くお話しして解散ってことで。男がいないからさー、話の合う人間がほしかったんだ。そういうわけでコウジは今日俺たちとお話しして帰るのだ。いいだろ」
「まあ、いいが。活動が見れなかったのは残念だな」
「何度でも来ていいからさ。来たくなったらいつでも来いよ。いいよな、部長」
「モチロン」
凛々しい顔で親指を立てた。しかしなんだ? 幼女の動きが鈍いぞ。
俺は隣に座る藤村に耳打ちして聞いてみることにした。
「あげら、もぐーびちぇく。あんげる」
「えー? ごめーん! それはちょっと無理な話だよ!」
「もぐりすと、べれすてぃに、くみみんげり」
「そんな。昨日そんなことがあったの? よく生きてこれたね。さすがヒカゲっち」
「ごめんノらないで。俺自分でやったけど対処しきれないわこれ。『何語だよ!』っていう反応しか考えていなかったからもうどうしていいのかわからない」
「はっはっは。ダメだなヒカゲ軍曹は。これしきの事で音をあげるなんざぁ葉野一族の名が廃るぜ」
そこはもうすたれてくれた方がうれしい。
「話し戻すけど、部長どうしたんだよ。静かだし、硬いし。なにかあったのか?」
「え、分からないの」
わかるかい。
「緊張してるんだよ」
「緊張? コウジがかっこいいからか?」
「ヒカゲ君が最初に会ったときナナエちゃんは落ち着いてた? 二回目あった時、落ち着いてた?」
そういわれてみればそうだ。暴力的だったのは緊張していたせいなんだな。
「知らない人間がいると緊張するタイプなのか。意外とちっさいな」
「小さくないよ! 今ヒカゲ悪口言ったでしょう! 小さくなんてない!」
悪口はよく聞こえるというが、今の声量を聞き取るには超がつく能力でなければ無理な気がするぞ。
「ああ、そういえばまだ自己紹介をしていなかった。俺は木下康治。ヒカゲたちと同じクラスだ。仲良くしてくれたらありがたい」
「あ、私はイシダナナエ。よろしく」
「何組だ?」
「一組」
「ほぉ、そうか。なら斉藤孝彦を知っているか? 同じ中学で今一組にいるんだが」
「ちょっとまだみんなの名前覚えてないけど、確かそんな名前の人がいた気がする」
「そうかそうか」
さあ、うん、よし、ここで会話が途切れたらまた静寂が訪れてしまう。このままじゃあ一生ミユはコウジから連絡先を聞けそうにないぞ。仕方がない。
「あ、そう言えば幼女この野郎、お前俺の番号勝手に探るなよ」
「勝手にじゃないよ。ちゃんとミユに了承とったもん」
「俺にとれ! んで、なんで携帯二つあるんだ」
「いいでしょ、ヒカゲには関係ない」
「関係ある。万が一、ありえないことだが電話かけたいなととち狂ってしまったときどっちにかければいいか分かんないだろ」
「どっちでもいいよ。面倒くさい。どっちも着拒してるけどね」
「まあかけることは絶対にないけどな。そんで、お前アドレスとか教えろよ」
「なんで。ヒカゲに教えたら明日には全クラスに、三日後には一年生全員に、一週間後には校内全体に、一か月後には日本中に、一年後には銀河の果てまで私のアドレスが知れ渡っちゃうよ」
「そうなったらアドレス変えればいい。じゃあ、ちゃちゃっと赤外線で送ってくれよ」
「え……。……はぁ、仕方がないなぁ……」
そう言って赤外線通信しようとしたが、突然幼女が携帯を引っ込めた。
「なんだよ。やっぱり嫌だとかいうなよ。悲しくなるだろ」
「あっ、いやそうじゃなくて……。そうじゃないけど私ヒカゲのアドレス知ってるからメール送れば済む話だと思って」
「赤外線の方が早いと思うけど。まあいいや。じゃあちゃちゃっと送ってくれ」
「しょうがないなぁ……」
敢えてしぶしぶと言った表情で言う幼女。生意気な。
「来た来た」
本文に番号だけが書かれた普通のメール。赤外線ならこれ登録する手間省けるのに。
「ついでに藤村のも教えてくれよ」
「お、さすがだねぇ。ここで私に聞いてくれなかったら寂しい思いをするところだったよ。さすがは色男。分かってるねぇ〜」
「だろうが」
ここでちらりとミユの様子を見てみた。何となくアドレス交換しやすい状況を俺なりに作ってみたのだが……、これはダメか。
ミユは顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。きっと言葉が出てこないんだろう。もうどこまでも世話が焼けるんだ。
「ここでこうやって集まれたのも何かの縁だしさ、また何かあったらこうやって仲良くやろうな」
俺はさわやか度百二十パーセントの笑顔でコウジに微笑みかけた。
「そうだな。それは素晴らしいと思う」
「だしょ? ならもしもの時に連絡網作っておこうぜ」
こりゃちょっと無理やりだったか? まあいいや。そこに突っ込めるような奴ならミユの気持ちにも気づいているだろうからな。
「じゃあこの席をぐるりと回る感じの連絡網にしよう。部長から始まって藤村俺コウジミユそしてまた部長に戻す。完璧だろ? そういやコウジはミユの連絡先知ってんのか?」
「ああ、いや、分からないなぁ」
「あ……! じゃ、じゃあ今教えておくね!?」
「おお、ありがたい。これでいつでも連絡取りあえるな」
「……! う、うん!」
はぁ……。無理やりだったけど、無事に目的は達成できたな。
…………は?! しかし俺は気づいてしまった!
こ、これは……。もしかして……。いや、そうだ。絶対にそうだ!
占い関係ないじゃねぇか。結局きっかけは占いでもなんでもなかったぞ。いったい俺が味わった苦痛には何の意味があったのだろうか……。前歯は生えてきたからよかったものの、命はなくなったら帰ってこないんだからね?! 分かってるの?!
「……どうでもいいけど」
悔やんでも仕方がないことだ。それに最後に連絡先を教えてあげるといったのはミユだ。これには間違いなく占いの力があるはずだ。
ミユから言わなくてもおそらくアドレス交換は成立していただろうが、自分で言ったっていうのは重要なことだ。それを考えたら一歩とは言わないも半歩前に歩かせた今回の作戦はまあよかったのかなと思う。これからは自分の力だけで歩けるようになればいいな、ミユ。
しかし……。こうまでしてやらなきゃ動かないミユじゃあ、このニブチン王子を射止めることは難しいだろうな。せめてミユが少しでも素直になれれば……。
「さって! 連絡網も完成したし、雑談でもしようではないか皆の衆! あ! そういえば昨日駅前に買い物に行ったんだ。そしたらなんと担任のハラダ先生に偶然会ってさぁ、なんだか学校外で先生に会うと不思議な気分だよね――」
ミユがコウジに連絡先を教えるという行為が藤村のスイッチだったようだ。そこから日傘同好会は藤村の独演会の会場となってしまった。こいつうるさい。
夜十一時前。
「お疲れっした」
「お疲れ」
独演会の疲れそのままにバイトにいそしむというのはなかなかにつらいものがあったな。しかし休むわけにはいかないので己を高める精神修行ということで頑張っていこう。
さて、今日も保志野のいるファミレスに向かおうかな。でも、今日はなんだかファミレスじゃないところで晩飯を食いたい気分だ。しかしながらこの辺りにはまともな飯屋がないし……。いや、しかしですね、三日連続ファミレスというのは考えられないものでして。
などと思いながら俺は怪しい男の前を通りファミレスの扉を開けた。
「いらっしゃいませ、一名様ですね、どうぞお好きな席へ、ご注文はオムライスでよろしいですね、かしこまりました」
「酷い店だ」
勝手にメニューを決められるなんてほかの店じゃあできない不思議体験だな。
「葉野君いっつもオムライス食べているから今日もかと思って」
「いつもってまだ二回だけだろ。今日は違うもん食う」
「とか言いながらオムライスを食べるんだね。分かります」
意地でもオムライスは頼まん。一生頼まん。
「ところでお前、なんで制服着てないんだ」
完全に上下私服。とてもお客様をおもてなしできそうにもない格好だ。
「あ、私もう上がりだから」
なんだ。なら来なくてもよかったな。いや、別に保志野に会いに来ているというわけではなくどうせ行くならクラスメイトがいるところに行こうと思っていただけであって素晴らしい体つきの保志野のことが好きだとかそんなんじゃないんだからな。
「さみしいのかな?」
「まあな。引き止めて悪かったな。いや俺は引き止めてなかった。じゃあな。俺はお前がいなくてもここで飯を食えることを証明して帰る」
「まあまあそういわずに、一緒にご飯食べようよ。待ってたんだから」
まあ、なんということでしょう。俺と一緒にご飯を食べたいからって長い間待っててくれるなんて健気な子。おじさんおごっちゃおうかな?
「五分だけしか待つつもりなかったけどね。早く来てくれてありがとう」
おごるのやめた。
断る理由もないので二人同じ卓に着く。
「今日は何食おうかな」
「すみませーん」
保志野が店員を呼びよせた。俺はまだ何も決めていない、いや、メニューも開いていない。お冷が届いていない!
「あれ、千里ちゃん。彼氏?」
年上だと言い切れる若い女性店員がにこやかに保志野に話しかけている。
「彼氏じゃないです。クラスメイトですよ。まだあまり話したことないのでここで仲良くなろうかなって思って」
「へぇ」
店員は俺の足先から毛先まで二往復なめまわすように見てスマイル〇円を見せた。
「ご注文はお決まりですか?」
舐めるように見た結果や感想などを教えてほしかったが所詮店員なんてマニュアル以外の頃ができないのだろう。俺だったら「かっこいいですね」だとか「私と付き合ってください」だとかキャーキャー言うぞ。ああ、分かってる。空しいことは分かってる。
「オムライスとカレー」
「ちょっと待て。俺はオムライスを食べるなんて一言も言ってない。俺は別のものが食べたいんだ」
「あ、そうだったの。ゴメンね。私はてっきり格好つけて「いつもの」っていうセリフを言いたいがためにオムライスを毎日注文しているのだとばかりに思っていたよ」
うぐぅ、ばれていたか。三日目にして挫折。オムライス作戦はやめだ。
「じゃあ俺カツカレー」
「同じの二つ」
「かしこまりました。ごゆっくり」
軽く手を振って店員は引っ込んでいった。
そこからは独特の無言が俺たちを包み早くも泣き出しそうになってしまった。
なにか話題を見つけねば。
「あ、そういえばなんでお前学校の制服じゃないの? 家このあたりだから一旦帰ってるとかか?」
「家はこのあたりじゃないけど一旦帰って着替えてるよ」
「なんでそんな面倒くさいことを」
保志野は声を潜めて俺に言った。
「年齢を偽ってたんだって。制服で来るとばれるでしょ」
「ああ、そっか」
でも高校に入ったんだから制服で来てもいいのではないか? どうでもいいけどさ。
「中学校はこのあたりか」
「うん。高須中。葉野君は」
「千帆。このあたりのやつらは高須になるわけか」
それからまあ取り留めのない会話をしつつ、料理が来るのを待って料理が来たら無言で食べて、水を飲んでひとまず落ち着くことに。
「ああ、まだ十一時半か。時間たつの遅いな」
「え、もう十一時半でしょ。葉野君はどれだけ夜更かしさんなの?」
まだ明日の登校時間まで九時間ほどあるのにもうだなんておかしなやつだ。
「夜更かしさんじゃねえけどな。俺そろそろ帰るわ」
俺は伝票を持って立ち上がった。
「おごってくれるの?」
「おごってやるよ。どうせ店員だから三割引きだろ」
「よく分かってるね。ありがと」
「保志野も帰るのか? 帰るなら送っていくけど」
「あ、さすがだね。ありがとう。実をいうと葉野君に送ってもらうために待ってたんだ」
「なんで俺」
立ち上がった保志野を連れてレジへ向かう。
「送ってもらうというか、お願いがあって」
お願い? なんだろう、とかなんとか考える前に俺は解決しなければいけない問題を一つ見つけてしまった。
財布、奪われたままだ。今、俺、無一文。
「どうしたの?」
「あー、いや、ちょっと待ってくれよ」
財布探すふりして「あ、財布忘れちゃった。てへ、ゴメンけどおごってくれないかな保志野さん」という恥ずかしいことをしよう。おごるといった手前余計恥ずかしい。
カバンの中をひっちゃかめっちゃかにしながら頭の中でシミュレートした言葉を言う。
「あ、財布――」
見つかった。あった。財布あったよ。
「財布がどうかしたの? もしかして忘れたの?」
「……ああ、財布見つかったって言おうとしたの」
俺は財布を引っ張り出して両手で挟み込む。お金抜き取られていませんようにお金抜き取られていませんようにお金増えていますように!
「南無三!」
札入れを充血するほどに凝視する。
……あった。ありました。消えていません! 諭吉も、英世も、漱石も無事です! 樋口はいません!
俺は生還報告に涙を流し喜んだ。
奇跡って……、信じれば起こるものなんだね。明日まで忘れないよ。しかしこれで恥をかかずに済む。ありがとう神様。
俺は精算のためにお札を二枚ほど抜き取る。それと一緒に一枚の紙がついてきた。英世と漱石をレジに置き、紙は自分の手元で広げてみる。
手紙だった。
『最初から最後まで占いの結果をかなえてくれてご苦労様。今度はもうちょっとばれないようにしてくれたらうれしいわ』
わお。ばれてら。
「どうしたの?」
「なんもない」
なんか疲れたな。もうやらないぞこんなこと。
「おかしな人」
つぶやきを聞こえていないふりでやり過ごす。
無事に二人分の金を払い、出口へ向かった。
「それで、お願いってなんだよ」
扉を押しあけ外気に肌がふれる。少し肌寒いから、まだ冬物はしまわないでおこう、とかぼんやり思っていると急に保志野が腕をからませてきた。
これじゃあまるで恋人みたいじゃないか。え? もしかしてお願いって付き合ってください的なこと?
驚き保志野を見ていると、前方から聞いたことのない高い声が聞こえた。
「……そいつ誰」
高い声だが、女性のような透き通った声ではない。決して癒されることのない、不安になる声だった。
首をひねり声の主を見てみる。みすぼらしい格好をした怪しい男だった。見覚えがある。ずっとファミレスを覗いていた怪しい男だ。すれ違う程度では分からなかったが、対峙してみてよく分かった。
こいつは――危ない。
肌寒さとは別の意味で総毛だった。かかわらない方がいいと直感が告げている。しかしどうにも――無理みたいだな。
こいつは今なんて言った? 「そいつ誰」? 俺に言ったのか?
「これは私の彼氏」
「は?」
あっけにとられている俺をよそに保志野は続けた。
「私付き合っている人がいるって言ったでしょう。あなたと出会う前からずっと付き合ってるの。だからもう私にかまわないでほしい」
かまわないでほしい。ああ、こいつはストーカーなのか。
「誰の許可を得てチリちゃんに触ってるんだ……」
上目遣いで俺を睨んでくるストーカー。上目遣いをしていいのは幼馴染か義理の妹だけだ。ただしミユは除く。
「お願いだからもう私のことは忘れて。いこ、オンミョウ君」
名前間違ってる。とは突っ込まずに保志野に引かれるままファミレスを後にした。
男は追ってこなかった。
「そういうわけで、お願いっていうのは彼氏のふりをしてほしいっていうことだったの」
保志野の家までの夜道。後ろに注意を向けながら二人並んで歩く。腕は組んでいない。
「用事すんでから内容を言うな。びっくりしただろう」
保志野は申し訳なさそうな顔で言った。
「ごめんね。頼んだら断られると思ったからちょっと強引に話を進めちゃった」
「別に断らねえよ。困っている人間を放っておくほど俺は鬼じゃない」
「そうだったんだ。ごめんね、次からはちゃんと内容を説明してからお願いするから」
「次があるんかいな。別にいいけどさ……。んで、あいつはストーカーなのか」
「そこまではいかないけど、ちょっと熱列で過激なラブコールを受けているかな」
ストーカーの定義は知らないけど、それは違うのか?
「大丈夫かこれ。激昂した男が女子高生を惨殺。男は『裏切られた』とつぶやくばかり。真相を知るのはある一人の男子高校生、みたいなニュースが流れるなんて嫌だぞ」
「そこまでできるような人間じゃないと思う。ラブコールを受けるのはファミレスだけだし、付きまとわれているわけじゃあないんだけどね」
それはもう充分に危ないと思うのだが。
「困ったことがあったらすぐに誰かに相談しろよ。あいつ、絶対に危ないから」
「じゃあまたオンミョウ君に相談しようかな?」
「ああ、全然かまわない。かまわないけど、一つ言いたいことが」
「?」
「お前本気で俺の名前を間違えているな。俺は葉野ヒカゲ。偽でも彼氏の名前を間違えるな」
「あ、そうだったの? どっちだかわからなくなってたかも。ごめんね」
素直に謝られたら怒ってなくても許さざるを得ない。
「しかしお前ストーキングされるなんて夢のようじゃないか」
「え、葉野君は付きまとわれるのが夢なの?」
「そうだな。できればおしとやかで可愛くて勉強もできる女の子に付きまとわれたいな」
「目を開いてしゃべろう。現実にはそんな子いないよ」
分かってる 分かっているけど 信じたい それが男の 夢なのだから
「あいつ、こんなことでへこたれるのか? 執念深そうな顔してたけど」
少し恐怖を覚えたくらいだ。
「分からない。ほとんど会話をしたことがないんだもん」
本当に危ないと思う。帰りはファミレス前を通らないようにしよう。
「もうすぐ私の家が見えてくるよ。ここでいいよ、ありがとう」
「なんだ。俺に家を知られたくないのか。なんで俺が変質者だってばれたんだ」
「滲み出てるよ」
失礼な子。
「それじゃあ、また明日ね。今日はありがとう、いつかお礼させてね」
「お礼させてやる」
保志野は軽快な足取りで俺の目の前から消えて行った。なんかあいつ大変なことに巻き込まれているな。でもそう深刻でもなさそうだし、大丈夫かな。
気に病んでもしかたない。俺がしゃしゃり出て話がこじれるのも嫌だし、保志野が助けを求めた時だけ助けよう。
俺はできるだけ遠回りをして寝床へ向かった。背後が気になり小走りで帰ったのは内緒だ。