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@火曜日  藤村さん怒る


  次の日の朝。登校と同時に俺はおなかが痛くなっていた。 ダメだ。ダメだダメだ。人生がいけない方向に進んでいるぞ。 過去を振り返る。あれは、確か中一の夏だったかな。誰かが困っていたんだ。そしてそばにいた俺が巻き込まれて。それを偶然とはいえ華麗に解決してしまった俺。そこから始まった嫌な流れだった。 その流れは一度ステージアップの時に断たれたんだ。 しかし。 その流れが今復活しようとしているのがはっきりと見える。一度消えかけた流れが再び俺を飲み込み人生を狂わせようとしている……。 「葉野君」 「うん?!」 見知らぬ女子生徒。 「お願いがあるんだけど」 「なんで俺に言う……」 「伝説を聞いたから」 「伝説なんて俺もってないけど……」 「二年前の事件はみんなが口をそろえて見事だって言ってたよ。『連続ローファー誘拐事件』の解決までの手際は、まるで一度犯行を犯した者のようだったって」 「それ褒められてねぇ!」 「あ、俺別の噂聞いた」 見知らぬ男子生徒。 「『消火器怪死事件』の犯人を見つけ出したときには、誰しもが葉野を共犯者だと疑ったらしいな。それくらい素早い解決をしたんだってな」 「それも褒められてない……」 「葉野君」 最初に話しかけてきた女子生徒だ。 「何だよ」 「それで、お願いなんだけど」 「勝手に話を進めてる!」 「気になる人がいるんだけど」 「んなもん俺の領分じゃねえだろ!」 思わず突っ込んでしまった。 「でも葉野君は恋のキューピッドだって話を聞いたし、その人葉野君と同じ中学だし」 「よし、そいつの首持ってきたらお前の願いを叶えてやる」 「葉野、俺もお願いがあるんだけど」 「それはママにお願いしなさい」 「できねえからお前に頼もうと思ったんだ。俺の母親が里帰りしちゃったんだけど、おやじと三人で連れ戻すの手伝ってくれないか?」 「家庭の事情過ぎるだろ……」 「あれ? ヒカゲもしかしてお前また便利屋始めたの?」 同じ中学のやつが楽しそうに近づいてきた。きっとこいつも噂の流布にかかわっているに違いない。あとで制裁をくわえよう。 「じゃあじゃあ私もお願いがあるんだけど」 「あーもうなんだよ!」 続々と集まってくるクラスメイト達。まだそんな素性も分かっていないやつを頼るか普通?! しかし、これは噂の広まりが急速すぎる。誰が言いふらしたんだ、っといっても同じ中学のやつら全員なんだろうな。 ……いや、それでもこんな事態に陥るか? こんなこと初めてだ。俺の知らないところで何かが起きている。 「お願いがあるんだけど」 「ああああ! うっさいだまれ! 俺なんかを頼る前に自分で何とかしろ! あと俺にできそうなことだけを言え!」 「でも葉野なら何でもできるし」 「俺ならってなんだよ。俺って何者だよ。そもそもお前今日初めて話す奴だよな。名を名乗れ。そして俺を頼るな。仲のいい友達のところに逃げ込め!」 「葉野君なら何でもできるって聞いたからお願いしてるんだけど」 「俺は何もできない。それ誰から聞いた」 「みんなから」 「よし、そのみんなをブッ飛ばしていくから名前を列挙してくれ」 「いいじゃんヒカゲ。頼られるって幸せなことじゃないか」 同じ中学だったやつがヘラヘラ笑いながら言う。 「ならお前がやれ」 俺を取り囲むのは頼みごとをしに来たやつらだけではなくからかいに来た千帆中のやつらも大勢混じっている。 なんでこんなことになったんだ! いきなり俺の学生生活が爆発して粉々に砕け散ってしまったぞ! 「なんで保志野さんは助けて私たちは助けないのよ。顔なの? 顔なのね?」 ああ、申し訳ないがそれも多分にあるさ。だからお前は家に帰って寝て一生起きてくるな! 「そもそもなんで保志野の一件を知っているんだ」 「保志野さんから聞いたのよ。意外といい人だって。そこから、葉野君が中学校時代便利屋をしていたという話になって、それなら私もってなったのよ。昨日も佐々木さんのお願いを聞いたらしいじゃない。なら差別しないで私のお願い聞いてもいいでしょう!」 「うるせえ、消えろ」とは言えないので説明してやる。 「保志野のは無理やりやらされたんだ。佐々木のはばれないようにやったんだけど、ばれてら。後悔している」 「なら私のもばれないようにやってよ」 「お前ゴリラに殴られた方がいいよ」 誰か助けてくれ。そう心の中で祈る。するとどこからともなく声が聞こえてきた。 ああ、神様。やっぱり信仰心あふれる好青年の前にはちゃんと降り立ち、道を示してくださ 『諦めなさ――』 俺は神様をぶっとばした。役に立たない神なぞいらぬ。代わりに俺が神になってこいつらを粛清してやる。どこかに名前を書いたら心臓まひで死ぬノートとか落ちてないかな。 「とにかく! 俺は何もしない! 便利屋は廃業したの! 帰った帰った!」 周りから非難の声が飛んでくるが、俺の耳は一定の条件を満たすと聞こえてくる音をシャットアウトしてしまうので今は何も聞こえてこない。という設定にしよう。 「何じゃこれはぁ! わしが座れぬぞ!」 このテンションと声は藤村か。 「助けてくれー!」 藤村に助けを求めるべく立ち上がり手を振った。藤村は人だかりの最後方で驚いた表情を見せていた。 「ん?! 人だかりの中心は葉野君ではないかね。それならば葉野君に直接人だかりの原因を尋ねてみるとともに部活をさぼったことに対する査問会を執り行おうではないか。どういうことだヒカゲっちこの野郎ぅ!」 一瞬で距離を詰められ電気スタンドを突き付けられた。眩しい。熱い。やる気が著しくそがれる。 やる気メーターが零になる前に聞いてみた。 「お前、人助けとか好きそうだな」 「まあ、人に嫌がらせをするのよりは二十倍は好きだけど、あ、いや、十九倍くらいかな?」 「細かい数字はどうでもいい。ちょうどいい。こいつら困ってるみたいなんだ。助けてやってはくれないか」 「はっはっは。なめんじゃねえ!」 突然殴られた。いや、なんで?! 殴られた勢いで腰を下ろした俺に涙目を向け説教をかましてきやがる藤村。 「この人たちは親方を頼ってこの世界に来たんだよ……? その思いを踏みにじるような行為をしちゃいけやせん、面倒だからって押し付けてはいけやせん、お菓子を食べすぎちゃいけやせん。太るからね」 「え? 最後の関係なくない?」 「太りたくないだろう?! なら運動することだ! それが一番の太らないためのおまじないだ!」 「それおまじないとかそういう間接的なことじゃなくてやせるための直接的な行動だよな」 「それが分かってんのなら、あっしがおしえるこたぁ何もないZE☆」 こいつダメだ。 「今日はちゃんと部活に来てね」 そういって何事もなかったかのように自分の席へ向かった。なんて役に立たないやつだ。 「え、なによこれ」 この声、今度はミユだ。俺はミユに助けを求めるべく立ち上がり手を振った。 「おーい! 助けてくれー!」 「嫌よ」 そう言ってミユは人だかりを避けて自分の席に着いた。あいつムカつく。 「葉野君、諦めてお願いを聞きましょう」 「うるせぇ。誰がするか」 「と言いつつ手伝うヒカゲであった」 森君(↑)を一番に殴ろう。うん、そうしよう。 「ん? これはいったい何事だ?」 この声はコウジだ。俺はコウジに助けを求めるべく立ち上がり手を振った。 「コウジー! 助けてくれー!」 「おお、ヒカゲか。もしかしてまた便利屋をしているのか。なら俺が邪魔をしたらダメだな」 「いや、助けろって言ってるじゃん」 「手伝いたいがヒカゲに怒られるからな。すまんが手を出せない」 あいつ日本語通じないの? それともただ馬鹿なだけ? 「頑張れよ」 そう言って自分の席へ。 この世界で頼れる人間はいないのか? 「何よこれ?!」 この声はマサカズか。俺は助けを求めたくないので人だかりの中心にいることがばれないように小さくなってやり過ごそうと決めた。 「あら、ヒカゲじゃないの。なにしてるのよこんなに人集めちゃって」 ばれた。 「しらね」 「今来たばかりだから今までのヒカゲの行動知らないけど悲しい気持ちになるわ」 ああ、この世界で頼れる人間はいないのか。 「俺は友達じゃないのかしら」 そうこうしている間に担任がやってきた。 タイムアップだ。よっしゃ、朝は何とか切り抜けることができた。しかしこれからの生活を考えると死にたくなるな。とりあえず、今日一日どう乗り切ろう……。 休み時間になるたびに群がってくる魑魅魍魎。俺はとにかく無視を決め込み諦めるのを待つことにした。 「お願いだから話を聞いて」 「頼むよー」 「手伝ってくれ」 「一緒に来てくれない?」 俺は中学時代を繰り返さないためにも今日一日何事もなく乗り切らねばならない。たとえ『なにも手伝ってくれない冷たい人間』だと思われても。『何でもしてくれる便利な人間』だと思われるよりは何倍もいい。俺はあのせいで中学校生活を棒に振ったんだ。もう今いる世界は壊さない。 俺は机に伏せて無視し続けた。   学校生活の中で一番長い休み時間。 「なあ、俺の靴知らない?」 「私のノートがないんだけど、買ってきて」 「その、僕本気で悩んでて……」 「私も私も、本気で悩んでるの」 「あいつムカつくんだよなぁ、殴ってきてよ」 「何か面白い話してちょうだい」 うるせぇ、うるせえ。うるせえ! 何でこいつらは諦めるということを知らないんだ! いやさ、諦めないことは日常生活において素晴らしい事だろうと思うけど、今現在においては余計なことだとしか思えないんだ。 何で諦めない! 諦めろよ! 俺は耳をふさいで机に突っ伏したまま一ミリも動いてないんだぞ?! 懺悔でもあるまいし、俺に悩みを打ち明けたところで心も軽くならないし貴重な時間が無駄になってしまうんだぞ? 落ち着いて考えてみよ? 無駄なんだよ? まあ、心の中で説得しようが収まるはずもなく。ぎゃあぎゃあとうるさい声が俺の手を貫通して耳に届いてくる。 ああ、もううるさい! 「動かない俺に悩みを言うくらいならほかの人に頼るか自分で何とかしたほうが早いんじゃないか……」 精神的に耐えられなくなって顔をあげてしまった。 「噂を聞いたから葉野君にお願いしてるの。聞いたよ? 色々と解決してきたみたいじゃない」 「……」 こいつらが語る俺の伝説っていうのは嘘だ。普通に聞いたら笑い話にもならないアホみたいな噂。信じる方がバカなのだ。 しかし。 ベースは本物だというからいよいよ笑えない。 連続ローファー誘拐事件も消火器怪死事件も実際に起きた事件で、しかもその解決に少なからず俺が関わっている。誰に頼まれたわけでもないのに関わってしまった。関わらざるを得なかった。だって、疑われたんだもん。 ただ。 かなり脚色されている。 ありえないほどにてんこ盛り。 それはまるで漫画のようなお話にまで発展しているのだ。 俺がしたことと言えば本当に普通。 いや、ちょっと普通から逸脱してはいるが、普通と言っても支障はない。この状況になれば誰もがこうするというような行動。俺がとってきたのはそう言う自己防衛の行動。 ただ、その機会が人より少し多かっただけの事。それだけでこんな面白おかしく噂話を立てられている。 公式のパシリ。みんなそう言う人間がほしいのだ。 まあ、そんなわけで俺が否定しようが否定しまいがこの何重にも膨れ上がった噂を払拭することはできないのだ。 だから無視するしかないな。 「……」 ギャーギャーうるさい。 しかし、そこに一筋の光明が。 「……もしかして、噂って嘘なの?」 誰かがつぶやいた。しめた、この噂に疑問を持ってくれる人が現れたぞ。この人が俺の噂を嘘だと判断すればこの場の空気もそっちに流れていく。はず。多分。 「てかさー、そんなあり得ない噂、信じる方が難しくない? 考えてもみろよ。鮮やかに解決? 探偵でもあるまいし無理無理。そもそもそんな事件が起きたかどうかだって怪しくね? 騙されてるんだよ、お前ら。俺中学校で嫌われてたからさー、みんなで俺をいじめようとしているんだ。見てみろよ、その噂を流した奴ら、にやにやしていやらしい顔してるだろ?」 「確かに。葉野君いじめられてそうだし」 「いじめられてそう?! どこがどうそう見えるんだよ!」 「どっちなの?」 おっと、つい否定してしまった。 「ああ、いじめられてた。だから今まで聞いた噂は全部――」 「――本当よ」 どこからともなく声が聞こえた。誰だ! 変なことを言う奴は! 声の方を睨み付けるとそこには真剣な顔をしたミユが立っていた。あの野郎、今の状況に気づいて俺を陥れようとしてるな……。 「あ、あいつが俺を一番いじめてくる人です」 みんなが信じないように先制攻撃だ。 「私は幼馴染よ。いじめたりなんかしない」 「幼馴染っていうのも作られた記憶だけどな。あいつ、実はある研究所から逃げ出してきたアンドロイドなんだ」 「確かこんなこともあったわね。六階から飛び降りた男子生徒を地面でキャッチしてどちらも無傷で生還したっていう」 「あれ? なんで俺の知らない記憶をあいつがもってるんだ?」 「ああ、そういえば、ある組織に捕まった友人の父親をその特殊能力を使わずに救出したっていうこともあったわね」 「お父さんなにしてたんだろうな。そもそも俺が特殊能力持ちっていう設定から頭悪いだろ」 「あとなんだっけ? あの、交通事故の時に――」 !!! 「うるせぇんだよてめえ! いい加減黙れ!」 「えっ――!」 ……。 ふと気が付くと俺は立ち上がっていた。見ると机も倒れている。どうやら、俺が倒したらしい。 驚いた。今俺は何も考えないでこんな乱暴なことをしてしまったようだ。いや、確かに俺は常時凪いだ海のような穏やかな心を持っているわけではない。時には時化るさ。人間だもの。光男。 でも今はそんなに激昂するようなことだったか? どう見ても違うだろう。ただ単にミユが俺に嫌がらせをしていたってだけの話だ。そんなの、普通のことだ。日常、それがなければおかしいくらいのこと。もしこんなことが俺の逆鱗に触れるようなことならば、俺はとっくの昔に大噴火しているだろうよ。むしろ今日のはミユにしてみれば優しいくらいだ。 いったい、何が俺の理性を吹き飛ばしたのだろうか。全く分からない。 「あんたがそんなに怒るとは思ってなかった。そんなにいやだったのね。悪かったわ」 「あー……、いや、分かってくれたんなら別にいい」 俺はどうしちゃったのだろうか。 まあ、しかし俺としては悪くない結果を生んだ。 全く仲のよくないクラスメイト達は気が引け、中学の頃からの知り合いはドン引き。頼みごとをしてくることもなくなったし、変な噂が流れることもなくなった。 嫌な目で見られるかもしれないが、これで高校生活の平穏を買えたんだ。まあ良しとしよう。 どうやら高校生活の山場である一日が無事に終わったようだ。これで俺は普通の生活を送れる。 「ヒカゲ、部活行きましょう」 昼休みの一件を流し、何ごともなかったかのように話しかけてくるミユ。こちらとしてはありがたい。 「ああ、俺ちょっと用事があるんだ」 「……何あんた、もしかして昼休みのこと根に持ってるの?」 「違う」 俺は席を立ち名前も知らない男子に近づいた。こいつは昼休みに俺に頼みごとをしようとしたうちの一人だ。 「よう」 「あ、葉野君。お昼はごめんなさい。変に群がって不快な気分にさせちゃって」 「別にお前に怒ったわけじゃないから謝らなくてもいい。んで、お前は何を悩んでるんだ」 「……え? 葉野君、誰の悩みも聞かないって……」 「本気で悩んでいる人を無下に扱うほど俺は下衆じゃないんだ。くだらない事じゃなけりゃあ、頼られることは嫌いじゃないし、解決できたら俺もうれしいからな。んで、何事」 「……ありがとう」 「それは解決してから言ってくれ」 今日も部活にはいけそうにもない。ああ、残念残念。 ……うれしいことに、部活には参加できました。ああーよかったなぁー……。はぁ……。……くそ。 「つまり君の悩みは友達が少ないから作ってほしいっていうことなの?」 幼女が名も知らぬ男子生徒に問うていた。 「うん」 日傘同好会部室へ部活に行けないということを報告しに行くとしつこく理由を聞かれた。そんでもって人生相談を受けたという理由を言ったら面白そうだからついてくると。アホか。 「……で、ヒカゲ。どうするの?」 「ああ? 知らねえよ。お前らで何とかしてやれば?」 「ヒカゲ君が引き受けた相談なんだぜ。そんな投げやりはダメなんだと思うんだぜ」 「こんなに大勢は必要じゃないだろ。お前らが受けるんなら俺はやらねえ」 「あんた無責任よ。あんたが自分から相談を受けに行ったんだからお金払ってでも解決しなさいよ」 無視しよう。 「ところで、まだお前の名前聞いてないんだけど。犬村だっけ?」 「あ、僕は、吉岡」 「犬村じゃないんか」 「そうだけど……」 残念だ。 「んじゃ、そういうことで。俺は帰るわ」 カバンに手をかけ俺は立ち上がった。 その瞬間全員から「はぁ?」という視線をもらった。特に恐ろしい視線を送ってくる幼馴染。俺が帰ろうとしていることが本当に気に食わないらしい。 「ちょっと、あんたいったい何考えてるのよ。何も解決してないじゃない。それとも何かしたつもりになったのかしら? 話聞いただけで悩みが解決したとでも思ったのかしら? 馬鹿なのね。死んだ方がいいわ」 「なんでそこまで言われなくちゃいけないんだよ。帰ろうとすることはそんなに悪い事なのか?」 「悪い事に決まってるじゃない。何? 私たちに引き受けたことを丸投げして自分だけ楽しく遊ぼうっていうのね。最低」 「そういうつもりはない」 「んじゃ、どういうつもりかな、ヒカゲ君。私たちが納得できる理由を簡潔かつ感動的に答えよ」 「なんで問題形式? 感動的に答えろっていうのも難しいぞ」 立ち上がったまま藤村に突っ込みを入れていると突然幼女が机をたたき俺を睨み付けてきた。 「ヒカゲ! ヒカゲが人の役に立つっていうから部活休むこと許したのに、帰るなんて言語道断だよ!」 俺は呆れ溜息を一つついた。 「俺は頼れる相手のいない犬村だから相談を受けようと思ったんだ。これだけいるなら俺は必要ないだろ?」 言い聞かせるように言ってみたがどうにも納得してもらえそうにない。相変わらず幼女の表情は厳しい。 「その、僕吉岡……」 申し訳なさそうに訂正するクラスメイト。 「ああ、そうだったな。じゃあ犬村、後はこいつらが解決してくれるみたいだから」 手を振りドアの方へ何歩か歩を進めた俺の背後では三人による人生相談が始まっていた。 「犬村君。犬村君はどういう拷問が見たい?」 「さぁ! 人生相談を始めようじゃないか!」 カバンを放り投げて席に着きやる気をアピールする。 「あ、帰ってきた」 頬を膨らませていた幼女から空気が抜けた。 「かぁ〜! ミユちゃんには甘いなぁヒカゲっちは!」 ミユに甘いんじゃねえ! 拷問が怖いんだ! ……ったく。もしかして今後俺が何かするたびにこの三人はついてくるんじゃねえだろうな。そんなの嫌すぎるぞ。 「……」 犬村はもじもじと俺の顔と机の上を見比べていた。なんだ? 俺に惚れたのか? 「その」 「俺はノーマルだ!」 何か言われる前に先制パンチを打っておこう。 「……? 僕も普通だと思うけど……」 ……。だよね。 「で、なに」 犬村は人のよさそうな笑顔を作って聞いてきた。 「葉野君と綿部さんは付き合い始めてどれくらい経つの?」 「はっ!」 何を言い出すのかと思えば! 思わず鼻で笑っちまったぜ! 「ないないない! 主人と奴隷の関係って言っても贅沢よ!」 「お前が言うな!?」 ただの友達って言おうと思ってた俺のこの気持ちはどうすればいいんだよ! もしかして友達って思ってるの俺だけ? 親友って思ってる俺ただの妄想野郎なの? 心の中で頭を抱え悶える俺。しまいには何もかもが嫌になってしまった。よし、帰ろう。今すぐ帰ろう。 「犬村君はあれかい? 友達百人作って百人委員会を作ろうっていうんだね?」 「その、僕、吉岡……」 「細かいことはどうでもいいでしょ。犬村はそんなんだから友達作れないの」 「で、でも、僕吉岡……」 「さ、うだうだ言ってないで犬村君の悩みを解決してあげましょう」 ふむ。 どうやら俺は犬村のことがあまり好きではないようだ。 くだらないやり取りが繰り広げられている中、俺は立ち上がりカバンを持った。そんな俺に再び全員が「はぁ?」という視線を送ってきたが、今回俺は引けない。 俺は無言で扉へ向かった。 「ちょっと。今からやろうと気合を入れたところで何帰ろうとしているのよ。無責任だって言っているじゃない」 「悪いけど、今回俺にできることはねぇや。俺マジで帰る」 俺はぎゃあぎゃあ騒ぐ女どもを放っておいて扉に手をかけた。 「あー……そうそう」 俺は振り返り犬村を見た。 「なんか困ったことで、俺に話があったらミユに伝えておいて。んじゃ」 「ちょ――」 なにか言いかけたミユを無視し俺は教室を出た。 そしてそのまま廊下を歩き下駄箱へ向かう。そこで俺は引き止められた。 「ヒカゲ君」 ふぅ。この呼び方は藤村か。ミユじゃなくてよかった。俺は安心して振りむいた。 よしよし。肉眼でもミユは確認できないぞ。 「どうして帰ろうとしてるの?」 いつものような明るい表情ではない。叱るような、咎めるような、責めるような顔。どうやら、俺が犬村を放って帰ろうとしていることが相当気に食わないらしい。しかし俺はそれが気に食わない。 「……どうでもいいだろ。引き受けたのは俺だ。相談を持ちかけられたのも俺だ。ならやめようが丸投げしようがどうしたっていいだろ」 「いいわけないよ」 初めて見せる怒りの表情。俺は少したじろいでしまったが、平静を装い対峙を続ける。 「そんなの、優しくない。友達には優しくあるべきだよ」 藤村が一歩近寄ってきた。 「犬村が友達だって? 何言ってんだ。今日初めて会話をしたのに友達だなんて呼べるかよ」 「メイト、でしょ」 もう一歩踏み出してきた藤村。俺との距離はあと三歩。 「んなもんお前の勝手な言い分だろう。俺はあいつのことを友達とは思ってない」 「どうして?」 もう一歩。俺との距離はあと二歩。 「どうしてって、別に大層なこと言えねぇし特に言いたいこともねぇけど、俺がここにいる理由なら言ってやれる」 「それをぜひ教えてほしいな」 藤村が一歩踏み込んでくるのを見計らい俺も一歩前へ出る。俺と藤村の距離はほぼゼロ。 「……理由っていうのを、聞かせてほしいな」 藤村は俺を見上げ、俺は藤村を見下ろす。藤村の綺麗な肌がまぶしいぜ。 俺が藤村の肌に見とれて無言になっているのをどう思ったのか藤村が言葉をつづけた。 「もしかしてミユちゃんが犬村君に協力するのが嫌なの?」 ……どうやらこいつも俺とミユの仲を勘違いしているらしい。 「んなわけねえだろ」 軽く俺の肩を叩いて藤村が言った。 「じゃあ説明よろしくぅ」 言い方は軽いが、顔は真剣そのものだ。 「……少なくとも、俺は友達を『利用』しようだなんて思わない」 「……? どゆこと?」 眉毛の傾きを変える藤村。 「友達を作りたい? んな相談俺にしてくんなよ」 「それが利用って? 冗談きついぜヒカゲっち。そんなことを利用というのなら友達に頼みごとできなくなっちゃうよ。ヒカゲ君は今までずーっと利用されてきたってことになるけど、今までも嫌だったの?」 「それは違う。残念ながら今回のケースは違うんだわ」 「どういうこと」 俺の言葉に間髪入れずに返答してくる藤村からはやはり怒りの感情が読み取れる。 ったく。説明したくないんだけどなぁ。まあこのままでは大切な友人関係に亀裂が生じそうなので犬村のことなんかより自分の事情を優先しよう。 「いいかよく聞けトムソーヤ」 「トムソーヤだからよく聞くね」 トムソーヤだったの? まあいい。 「俺に『友達作りの手伝いをして』なんて言える男が友達作れないわけないだろ? 友達作れないやつってのは人づきあいが苦手で誰ともまともに話せないやつだろ。もしくは性格が歪んでいるか。そう考えたらおかしいだろ? 犬村は性格歪んでなさそうだし、一っ言も話したことのない俺に相談を持ちかけられるあたり極度の人見知りってわけでもなさそうだ」 「……まあ、その考えは間違ってないね。私もなんで友達ができないんだろうって考えてたんだよね。それに犬村君がちょくちょくクラスの人と話しているのを目撃したし、あれ、とは思ったけど真の友達を作りたいんだろうなって納得してた」 「まあ、そういうわけだ。あいつは人見知りじゃないし性格も歪んでないから友達作りには困らない。オッケー?」 「……そっか。うん。分かった……、……ん?! ……おおおおお! あっぶないところだったぜぇ! 全くなんの解決にもなってないのにまとめられたからうっかりすべての謎が解決してしまったように感じていたぜ! ヒカゲっち、説明はまだ終わってないでしょうに?!」 ちっ。 「ここからはあんまりしゃべりたくないんだけど、お前が聞きたいなら教えてやる」 「もちのロン。聞かせてもらうよ悪代官」 「悪代官じゃねえ。……まあいいわ。そんで、まあそういうことならあいつが俺に相談してきた理由が分からなくなってくる」 「そうだね。友達作りが目的じゃない。ってことはつまり、犬村君の目的はヒカゲ君に相談することだったのかな? 何か特典でもあったのかね? 今なら布団圧縮パックがついてこのお値段、みたいな」 「大体そんな感じ」 「なるほど……。って大体そんな感じじゃあ全く分からないどころか余計分からなくなっちまったよ!」 こいつと至近距離で話すのは耳がやばい。俺は数歩下がり下駄箱に背を預けた。 「とりあえず、このことは他言無用だからな」 「……分かった。底の抜けた財布のようにしっかり約束を守るよ」 「それダダ漏れだからね?!」 藤村に限って秘密をばらすようなことは無いだろうが……。心配だ。まだ付き合いの浅いこいつを信じてもいいものだろうか。 「……まあいいや。ばらされても俺は困らないし」 「俺は困らないってことは、犬村君か誰かが困るの?」 「犬村は困るんじゃないかな」 「……??? どういうこと?」 腕を組み首をかしげる藤村は少し可愛かった。アホの子っぽくて。 「簡潔に言えば、犬村はミユに話しかける口実がほしかったわけなんだわ」 「ミユちゃんに? 犬村君が?」 「そ。犬村は綿部さんのことが気になってしまったんだな」 「……なんでそう思うの?」 「俺に相談を持ちかける理由がそれしかないから」 俺の言葉を聞いてあきれたような表情で背を丸めた。 「……うーわー。超曖昧。曖昧ミーだよそれ。曖昧模糊だよそれ」 「好きなだけ言いなさい。俺は確信しているのですから何を言われても俺の精神は揺らぎませんよ」 「それはちょっと曖昧すぎるよ。いくらヒカゲ君に何の価値もないからってミユちゃんにつなげるのは無茶苦茶だよ。ヒカゲ君ロリコンだよ」 「ロリコン関係なくね?! ってか俺ロリコンじゃなくね?!」 「あ、揺らいだね。私のかっちー」 楽しそうに親指を立ててウインクをして見せる藤村を俺は憐みの表情で見てやった。 「お前の人生楽しそうだな」 「うらやましいのかい。なら入会金三万円で、」 「入会しないからいいわ」 「残念。騙されると思ったのに」 誰が騙されるかアホ。 「それで、利用されるのが嫌だから教室を出たってこと? それはおかしいね。だって、もし犬村君がそういう考えならばヒカゲ君は邪魔なはず。利用されるのが気に食わないのなら教室に残るべきだったんじゃないかな? そこんところ説明よろしく」 俺は鼻を鳴らして視線を逸らした。 「そう言われりゃそうだな」 「……」 俺の反応を見て首をかしげた様子の藤村。何か気になることでもあっただろうか。 「……ヒカゲっち、もしかしてわざと?」 「ああん? 何のことだよ」 「犬村君のために教室を出たの?」 「はっ。なんで気に食わないやつのためにそんなことしなくちゃいけないんだよ。俺はそんなにお人よしじゃない。うっかりだようっかり」 空中に彷徨わせていた視線を藤村に戻した。見るとぼけっと俺を見つめており、目があった瞬間楽しそうな笑顔を見せてきた。 「ヒカゲ君はとんだお人よしだねぇ。みんなが頼るわけだ」 「勝手に言ってろ」 にやにや嫌な笑みをやめない藤村に少しイラついた俺は一方的に話を切り上げバイト先へ向かった。 何事もなくバイトが終わり、おじさんと別れた俺はいつも通りファミレスへやってきた。 「ういっす」 「いらっしゃい。暇なの?」 全く失礼な店員だ。毎日通ってやっている客に向かって暇なのかと問うなんて無礼極まりない。まあ暇なんだけど。 俺は保志野に連れられ店の隅に行き、座るのと同時にグラタンとコーヒーを注文した。なんかここのメニュー見なくてもわかるようになってきたな。 料理が来るまでの間頬杖を突き店内を眺めてみる。 今日も繁盛してるなぁ。なんでたかがファミレスにこんなに客が入ってるんだ? 特別おいしいわけでもないし(むしろまずいし)制服が可愛いわけでもないし(むしろださい)店員が可愛いわけでもない(可愛いのは保志野だけ)。 なーんでこんなに繁盛するかな。この付近に食事処が無いからってのもあるんだろうけどこれは異常だろ。 「不思議な顔をしているね。いったい何を疑問に思っているの」 保志野がグラタンとコーヒーを持ってきてそのまま俺の向かいに座った。 「おいおい、いいのかよ。めちゃくちゃ忙しそうじゃんか。なのにお前はこんなところに座ってさぼっちゃっていいのか?」 「いいのいいの。忙しそうに見えて実は忙しくないから」 何を言っているんだ。こいつは目が悪いのか? 客が見えないなんてダメ店員だな。 「実はこれみんな食事が目的じゃないの」 「……は?」 ファミレスで食事以外することがあるのか? おしゃべりとか? 保志野は勝手に俺のグラタンをつつきながら答えた。 「これ、みーんな勉強しに来ているんだよね」 勉強っていうと、そういや俺もファミレスで勉強した覚えがあるがそういう類の勉強なのだろうか? しかし受験にも試験にもまだ遠い。しかも勉強しに来ている人間だけで席が埋まるだなんてここは塾ですか? もし塾だとしてもこれだけの人数を集められるなんてどんなカリスマ講師がいらっしゃるのですか? 「とりあえずグラタンを食う手を止めろ」 いつの間にか自分の手元に引っ張りガッツリグラタンを食っていやがる。 「あ、ごめんごめん」 保志野が半分ほど無くなったグラタンを押し返してきた。って半分も食いやがって! 金半分払いやがれ! これ以上食わせないためにグラタンを腹の中にしまいこみながら、客入りがいい理由を聞いた。 「これには深い理由があってさ」 保志野が先ほど俺がしていたように頬杖をついて話し出した。 「一人ね、すっごく頭の良い人がいてね。その人が軽い気持ちで受験生に勉強を教えたのが最初。その噂が広まってあれよあれよと受講生が増えていっちゃってね。今では勉強を教えてもらえる上にお腹がすいたときにはすぐにご飯が食べられる便利な塾として近隣住民から愛されちゃっているわけなの。正直、お店側としてはいい迷惑なんだけどね」 「んじゃ勉強教えなけりゃいい。そしたら来なくなんだろ」 「当然それはもう試したよ。でもぜひお願いしますっていう声が後を絶たなくってさ。そして現在はお金を払うことで勉強教えてもらえるという形に落ち着いたんだ。それでも塾に行くなんかより安いみたいでね、このありさま」 ふーん。なんか特殊なファミレスだな。 「ってことはその頭の良い店員さんがいないときはガラガラにすいちゃうわけか?」 「それがそうでもないんだよね」 可愛い苦笑いを見せる保志野。 「いったいなぜ」 「ここのバイト、学力テストに合格しなくちゃ受からないようになっちゃったんだ」 「はぁ? ファミレスのバイトで学力テスト? なんかおかしいってそれ。目的が変わってきてるじゃん」 「そうなの。私がバイト初めてすぐくらいにこの制度が導入されてね。でも勉強を教える人はその分時給が多いから応募人数が減るってこともなくて。バイトの人は頭がいい。このファミレスではそんな常識が広まっちゃっててさ。テストを受けずにここのバイトを始めた私は非常に肩身の狭い思いをしているわけなんだ」 「へーん。お前も大変だな」 「大変ってわけでもないんだけど、私何のバイトしているんだろうって思うことは多々あるよ。だから葉野君みたいな普通のお客さんは結構ありがたいんだ」 「でもまぁ、客としてもお前は必要なんじゃないの」 「あはは。慰めてくれるの?」 「違う」 俺は周りから突き刺さってくる視線を睨み返して迎え撃つ。 「多分保志野は癒しとしての役割を担ってるんじゃないかと思う。勉強で疲れた目を癒すために可愛い店員を眺める。癒されることによってまた勉強に精が出る。そんなオアシス的なポジションに立ってると思うぞ」 「まっさかぁ。私がそんな大層な役目を任されるわけないよ」 いやいや。絶対にそうだ。もうさっきから「あいつ誰だよ、なんで保志野さんと一緒の席に座ってるんだよ」っていう視線が痛いもん。うざいもん。 「結構声かけられんだろ。もしかしたらお前目的でここに通ってるやつもいるんじゃないのか」 「そんなわけないよ」 頬杖をついたまま苦笑いで俺の言葉を流す保志野。お世辞じゃないがお世辞だと思われている。まあどうでもいいんだけど。 「さて」 保志野が立ち上がり伸びをした。背が反らされ豊満なバストがこれでもかというくらい主張される。もちろん店内は少しざわついた。 「帰ろうかな」 「なら送ってくぞ。またあいつが待ち伏せしているかもしれないし襲われでもしたら大変だ」 「そこまで危ない人じゃないよ。私のことを待つときもお店の前で出てくるのを待つだけで、帰り道に潜んでいるなんてことも無かったし危害を加えられるようなことは起きないと思うよ」 体を伸ばしたまま横にくねくね倒れて左右の脇腹を伸ばす運動を始めた。揺れる胸がまぶしい。 「今まで何もなかったからってこれから何もないわけじゃないだろ。『あんなことするようには見えなかった』ってやつだ」 「まあそうだよね。でもまさか私なんかが襲われるわけないよ」 何を言っても送らせてくれそうにない。俺は肩をすくめコーヒーに口をつけた。