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@水曜日 保志野さん送る
朝教室に付いた俺はいきなり鈍器のような素手で殴られた。鈍器のような、素手だ。間違えちゃいけないぞ。
「痛い……」
患部を押さえうずくまる俺の前に犯人が立った。まあ大体予想はついているが一応確認のために顔をあげて殺人未遂犯を確認してみよう。
当然必然ミユだった。金属バットのような性質を持っている腕をぽきぽきと鳴らしてにこやかに俺を見下ろしている。
「俺が何かご迷惑をおかけしましたでしょうか」
「昨日、放課後、相談、丸投げ、私たち」
なるほど。片言になるほど怒っていらっしゃるようですね。
それでも俺は謝る気にはならなかった。
「解決したのか」
頭から血が出ていないかを確認しながら立ち上がった。
俺の言葉を聞き返事をせずにずっと睨みるけてくるミユ。ミユとしては一番に謝罪の言葉を聞きたいらしいが、俺の謝る部分が見つからない。
「解決したのか」
俺はもう一度ミユに聞いてみた。俺から謝罪の言葉が聞けないと分かったらしくカッと目を見開いて拳を振り上げたが、逡巡したのちにため息を一つつきのろのろと拳を下ろした。
「……してないわよ。あんた、なんで帰ったのよ。あれから大変だったんだから。いい案は全く浮かんでこないしナナエは激怒したまま機嫌が治らなかったし犬村君はおしゃべりに夢中で全く考えようとはしなかったし……。あんたのせいよ」
「ふーん」
「ふーんって、あんたもしかして自分が悪いとは思ってないの?!」
「思ってないね」
「あんたって奴は……! ……まあいいわ。でも次は許さないから覚悟しておきなさいよ」
「はいよ」
怒りをあらわにした歩き方で自分の席へ向かうミユを眺めながら俺は緊張の糸をほどいた。あー、怖かった。殴られなくてよかったなぁ。
ミユが席に着いたのを確信し、俺は犬村の姿を確認することに。まあ、確認と言ってもミユのひとつ前の席に座っているのでミユを追っていれば自然と視界に入ってくる。犬村は席に着いたばかりのミユに人畜無害な笑顔を浮かべながら話しかけていた。それに対しミユも優しい笑顔で相手している。俺としてはあまり気分のいいものではないがまあ首を突っ込んだのも自分だし、無事に相談終了ということでこの件にかかわるのはもうやめよう。
誰にともなく一度鼻を鳴らし、俺は自分の席へ向かった。
そして時は放課後。よもやこんな事態になろうとは。
「最近部員の一名がやる気のない行動をとりまくるのですがどうすればいいと思いますか? これが今日の議題です」
備え付けの黒板に『どうすればヒカゲを部に来させることができるか』と書き殴り部長が椅子に座る部員たちを見渡した。その表情から怒りがビシビシと伝わってくる。
部長の書き殴った議題を腕と足を組み真剣に考えている様子のミユ。
「当然毎日ここへ来たくなるような罰じゃなきゃ意味ないわよ。こういうのはどうかしら。毎朝ヒカゲの首に放課後爆発する時限爆弾をつけて解除の方法をこの部室に置いておく。そうすれば毎日来ざるを得ないじゃない?」
爆弾は誰が作るんだとツッコみたかったが今の俺はそれができる状態ではない。ここはもう藤村に期待するしかないな。
俺の期待を一身に背負った藤村は楽しそうに指で机を叩きながら言った。
「なら毒を飲ませて解毒剤を置いておくっていうのもありなんじゃないかなと。爆弾をセットするより楽ちんさ」
誰が毒を用意するんだとツッコみたかったが過去に毒を盛られたことがあったな。毒の用意は幼女がするんだろう。って、そんなことより……。
「……」
俺は声が出せる状況ではない。さらに歩くこともできないし手を振ることもできない。さらに言えば息をするのも少しつらい。
「……ふー!」
「何ようるさいわね」
「ふー! ふー!」
俺は椅子にくくりつけられた足を必死に動かし何とか縄をほどこうとする。同時に背もたれの後ろで縛られている両手も捻り縄を緩めようと暴れまくる。猿ぐつわはあと回しだ。
「ヒカゲうるさい! 部の掟を破ったんだから何をされても文句はなしだよ!」
破ったっけ? 部活に参加できないなら参加しなくてもいいみたいなこと言ってたよね。まあ確かにみんなを置いて帰ったのは悪いと思うけど、それもまあ相談の一環として行ったわけだから許してもらってもいいじゃん。声に出せないけどぉ。まあ、俺の心を読み取ってくれた藤村が代弁してくれたので問題はなさそうだから声出せなくてもいいけど。
「ヒカゲ君はいったい何の掟を破ったんだい? 部活に来れない用事があるなら来れなくてもいい、でも部活をやめることだけはダメだっていうのが部の掟でしょう。ヒカゲっちはまあ用事があったっちゃああったし、部活をやめたわけじゃないし、そんなに大激怒で罰を与えるほどのことではなくなくなくない?」
面倒くせぇ言い方すんじゃねえ。
「なんでこれほどの罰を?」
「私が怒っているからです!」
「ああ、なるほどなるほど」
そんな。納得しないで。
「私は部の掟を破っただとかそんなことで怒ってるんじゃないよ。私が怒ってるのはすべてを私たちに任せて家に帰ったことが許せないのだ! 何さ『人生相談があるから部活にはこれない』だなんてほざいたくせに私たちにすべてを押し付けてぶらぶらこそこそいちゃいちゃしてさぁ! 許せないし解せないよ!」
いちゃいちゃなんてしてねぇよ! とまあ口に出せないので暴れてアピールする。
「そんなわけでヒカゲへの罰ゲームを執行しなければ私は落ち着けないの」
ああ、くそ。何とか文句を言ってやりたい。でもどうしようもない。
チョークを何度も黒板へ叩きつけ俺を睨み付けてくる幼女。
「ひひひ。どうやっていたぶってやろうか。ひとまず皮をはいで代わりにサランラップを巻いてゆでて」
ゆでるなよ。俺は逃げることをあきらめ動くのをやめた。それを見て幼女は満足げな表情を見せた。
そして俺が何もできないことをいいことにとんでもないことを言いだした。
「とりあえず今日はヒカゲの部屋を部室ってことにしよう。それが部の決まりだからね」
ふざけるな。
俺は諦めていた抵抗を本気でする。本気で足を動かす。本気で腕を捻る。それでも身動きが取れない。
「さて、みんな行こうか」
部長が立ち上がりカバンを持った。本気で行くつもりだ。
「ミユはヒカゲの家知ってるよね。ちょっと案内してよ」
「えーっと、ヒカゲっち、めちゃくちゃ暴れてるけど」
藤村は俺の尋常ならざる様子を目にして若干引いているようだ。
「いいんだよ。私も怒ってるし、おあいこだよ。これで許されるんだからヒカゲはむしろ喜ぶべきだよ」
「いやぁ、しかしですね、これは尋常じゃあないよ。顔は真っ青、冷汗は目に見えるほど掻くわで相当焦っているよ」
焦ってる? 怒ってるんだ俺は。
「いいからいいから。ほっとこうこんなやつ。さ、ミユ案内お願い」
「無理ね」
ミユの声に一瞬部室が凍った。
「え?」
俺は天使を見る目で椅子に座ったままのミユを見た。ミユは面白くなさそうに頬杖をつき面倒くさそうに部長を見ていた。
「ヒカゲ嫌がってるじゃない。それなのに無理やり行こうとするなんて私は許さないわよ。行きたいのならヒカゲを説得してからヒカゲ自身に案内させなさいよ。私は絶対に案内しない」
こんな返答を予想していなかった幼女は明らかに動揺した表情でミユに向き直る。
「……どうして? ヒカゲの方が悪いでしょ? 昨日私たちの嫌がることをしたんだよ? それなら嫌なことでも私たちの望むことを受け入れて然るべきなんじゃないの? そうじゃなきゃ、納得できないよ。許せないよ」
「そうね。それはよく分かるわ。気のすむまで殴るのもいいし、どんな悪戯でもすればいいと思うわ。でもね、それでも人には絶対に踏み込まれたくないデリケートな領域っていうのはあるものなのよ」
「それがヒカゲの家に行くことだっていうの?」
「それはどうか分からない。だってヒカゲから何も聞いてないもの。だからね、まずはヒカゲに了承をとりなさいって言ってるの。それが一番にすることでしょう。本気で嫌がることをするのは友達としてどうなのかしらね」
「友達なら私たちを置いて帰ったりしないよ。それに、不公平だよ。友達なら嫌なことしたら嫌なことされるべきだよ」
「ナナエの言う友達って面倒くさいわね。傷つけられたら相手も傷を負ってもらわなくちゃいけないの? そんな天秤が釣り合っているような絶妙なバランスで友人関係が成り立っているなんて思っているのかしら。ありえないわよそんなこと。傷をつけあうことが友達じゃない。傷を舐めあうわけでもない。かといって癒せと言いたいわけでもない。そりゃ癒すことができるならすべきよ。でもどうしても癒せない傷だってある。だからね、私たちは認めてあげることができればそれだけでいいのよ。それだけで私は救われる。私の全てを見てくれて、それでも傍にいてくれる。だから私はヒカゲと一緒にいるの。本当の自分をさらけ出せるのよ。ナナエは違うのかしら? 相手を傷つけなくちゃ気が済まないのかしら?」
ミユの言葉を聞いて不機嫌そうに考え込む部長。
ものすごーく重い沈黙。正直、縛られていなければ走って部室を後にしているだろう。俺には到底我慢できない空間に変異しているんだが俺になす術はない。
そして怒りを多分に含んだ悲しい声でぽつりとつぶやいた。
「……友達なら、最初に謝ってほしい」
……なんだよ。俺が悪いみたいじゃん。まあ、悪いところもあっただろうけど。
複雑な気持ちで部長を眺めているとふっと口の拘束が解かれた。振り向いてみると全力の笑顔で藤村が俺の口に巻かれていた布を振っていた。ふん、まったくかっこいい奴だ。何でも様になるコツを教えてもらいたいね。
俺は部長を見た。
「悪かったな。先に帰って」
「…………」
部長は不機嫌な顔そのままで俺を睨んできた。
「……なんで帰ったの。なんで私たちに押し付けたの」
「押し付けたんじゃねえんだ。もうこうなったら犬村のことなんか知らねえから言うけどさ、あいつにとって俺は邪魔ものでしかなかったんだよ。あいつの目的は『女の子の友達を作る』ってことだったんだ。だから俺はいない方がいいだろ? でもまあ、だからって何も言わずに帰るのは悪かった。ゴメンちゃい」
「…………許す」
部長は不機嫌そうに教室の一番奥におかれた自分の席へ戻っていった。
「悪かったわね、偉そうに言って」
部長が席に戻ったのを確認し、ミユが申し訳なさそうな笑顔で謝った。
「ううん。私が悪かった。だからミユは悪くない。私がわがままだった。ヒカゲが全部悪い」
「え?! お前、↑ここで『私が悪かった』って言ってるよね? それなのになんで↑ここでは俺が悪いって言ってんの? 頭打ったの?」
「さぁ! 部活を始めよう!」
俺の言葉を全く無視して爽やかに高らかに楽しげに声を上げた。今日も無意味な日傘同好会が始まった。
夜十時過ぎ、懲りずに俺はファミレスへやってきた。もう常連客と見なされたらしく、保志野以外の店員が俺の入店と同時に『また来たよあの男』みたいな暖かい視線を送ってくれる。案内だって保志野ではない店員がやってきて空いている席を指さし『あちらへどうぞ』とおざなりな対応を見せてくれるからこれはもうファミリーとして受け入れられたと思っても間違いじゃないだろう。
「ご注文がお決まりになりましたらおよびください」
全くにこやかではない表情でお冷を置いて去って行った。乱暴にコップ置いたもんだから水こぼれちゃってるけどさ、熟年夫婦だってこんな感じだろ? まさかそんな深くまで俺のことを想ってくれるなんて嬉しくて涙が出ちゃったよ。
「いらっしゃい」
ここでやっと保志野が顔を見せた。
「……なんで俺はこんなにも非ウェルカムな態度をとられているのか教えていただきたいんですケド……」
「え? なにか対応がおかしかった?」
「ああいやいや。俺がM男だったら間違いなく喜ぶツン接客だったけどさ、あれだろ? 俺がMに見えたからみんな勘違いしてるんだろ? もしくはこの後デレ接客に移るわけなんだな。いやぁ、楽しみだ」
保志野が店内を見渡し店員の様子をうかがう。他の店員と視線が合った保志野は顔の前で手を振りにこやかに手を挙げた。いったいどういうことだ?
保志野は表情そのまま俺の正面に座り急に謝ってきた。
「ごめんね。ちょっとみんな勘違いしちゃってたみたいで」
「勘違い? 俺がMだと勘違いしたのか?」
だとしたら俺の顔はそんなに情けないものなのだろうか。少しショック。
「違う違う」
先ほど店員に見せたように顔の前で手を振る保志野。いったい何が違うというのか。
保志野はあたりにきょろきょろと視線を送り前かがみになった。俺にも同じ体制をとるようにと手を払い、一瞬躊躇したが嫌々ウハウハそれに従い保志野に顔を近づける。綺麗な肌に胸がときめく。しかしそんな俺にお構いなく声のトーンを落として話し始めた。
「……実はさ、葉野君の言った通りになっちゃって……」
「えっと? 隕石が降ってきて地球が滅亡するって奴か?」
「そんな話してないでしょ。ほら、昨日言ってた……その、ストーカーの話」
ああ、そういえばそんな話した気もする。って、
「ええ?! 危害加えられたのか?!」
「あ、ううん。そこまでは無いけどさ、その、帰り道で待ち伏せされて……」
言わんこっちゃない。
「それで、どうなったんだ? 警察には行ったか?」
「行ってないけど、昨日話しつけたからもう大丈夫だと思うよ」
こいつはどれだけ楽観視しているんだ。
「お前なぁ、自分だって少しは危ないって思ってるんだろ? だからストーカーって認識をちゃんと持ったんだろ?」
保志野は今まで待ち伏せする男のことをストーカーとは呼んでいなかった。しかし今回の一件であの男をストーカーと呼ぶことに抵抗がなくなったわけだ。
「不安なんだろ。ならそんな軽く考えるなよ。重く重く考えろ。自意識過剰被害妄想上等。そうすりゃいざって時にも焦らなくて済む」
「でも、きっと昨日の話で分かってくれたと思うしもう安心してもいいんだよ」
「バカ、お前は……。もう絶対に一人で帰るなよ。誰かに迎えに来てもらえ。いつか絶対に襲われる」
「あはは。葉野君もみんなと同じこと言うんだね」
「みんなっつーと、バイト仲間か?」
「うん。あ、まずそれを謝らなくちゃ。みんな毎日通ってくれる葉野君のことをそのストーカーと思っちゃったみたいで。失礼な態度とっちゃってごめんね」
「そんな事情があったなら仕方ないけどさ。とにかく、みんな心配してるんだろ。なら心配かけないためにも、みんなの言うことを守って迎えに来てもらうべきだ」
「それができたらしたいんだけどね」
ほふぅ、とため息をつき背もたれに身を預けた。それを見て俺も姿勢を正す。
「私の親はさ、朝から晩まで働いてるんだ。多分迎えに来てって言ったら来てくれると思うけどさ、そんな重荷になるようなことしたくなよ」
顔は笑っているがこの決意は固いだろう。どうも保志野家にもいろいろと事情があるようだ。そこには踏み込めない。絶対に踏み込まれたくないデリケートな領域ってやつだ。
「なら俺が送ってってやるよ。お前が嫌じゃなけりゃあな」
きょとん。
そんな様子の保志野。
「え? そんなの悪いよ。葉野君だって毎日ここに来るのも大変でしょ」
「大変じゃあない。むしろこんなピンチなお前を放っておいたらその方が大変気持ち悪い気分になっちまう。だから俺に送らせてくれ」
「……でもそんなの葉野君に悪いし」
「何聞いてんだお前。俺は自分が気持ち悪い気分にならないために送らせてくれって言ってんの。自分のためなんだからお前が申し訳ないと思うのはお門違いだ」
「……」
うーん、と悩み声をあげる保志野。そこに先ほど乱暴にコップを置いた店員がやってきた。何だ? 今度は水ぶっかけられるのだろうか?
まあ、そんな考え杞憂に終わる。
「私からもお願いします」
「徳永さん、どうしたんですか」
どうやらこの徳永さんと呼ばれた店員は俺たちの話を盗み聞きしていたらしい。そしてたまらずに登場。友達を心配するのはいいけど盗み聞きは感心できねえな。
「チリちゃんの助けになってあげてください」
そう言って頭を下げてきた。それを見て溜息を一つ。
「あんたも何聞いてんだ。ここで頭を下げるのは俺にじゃなくて保志野にだろ。俺は送らせてくれって頼んでるんだ。それなのに認めてくれない保志野を一緒に説得する場面だろ」
全く、こんなに心配されて羨ましいったらない。俺なんか死んでようが誰も気に留めることは無いだろう。顔がよくってスタイルがよくって、そのくせこれだけ心配してくれる友達がいて。
なんだかいいな、そういうのって。
そんなわけで一緒に保志野に頭を下げる。
「送らせてください」
「送ってもらってください」
これはどんな状況なんだ。
頭を下げる俺たちを見て困った顔で固まっていた。保志野がふぅ、と息をはき俺たちに言う。
「じゃあ、お願いします」
頭を下げ返してきた。
「いやいや、こっちがお願いしてるんだよ。勘違いするな」
「それでも、お願いします」
むぅ、こんな反応されるとは思っていなかった。ちょっと困る。
「ありがとうございます」
徳永さんからも頭を下げられた。
「いやいや、お礼いわれること何もないんだって。俺がやりたいことなんだから」
「……はい。分かりました」
俺の言葉を聞いてすぐに頭をあげた。徳永さんの方は物わかりがいいな。
「さっきはごめんなさい。チリちゃんの言うストーカーと間違えちゃって」
「まあ、しょうがない」
か? しょうがないか? よく考えたらしょうがなくない気がするぞ? まあ、いいや。しょうがなかったんだ。
「でもいいの?」
保志野が顔をあげ聞いてきた。
「何が?」
「私、週六でバイトに入ってるよ。毎週月から土。全部十一時まで。葉野君もバイトの帰りだって言ってたけど、毎日入っているわけじゃあないでしょ? 土曜日だって休みたいだろうし、無理しなくてもいいよ?」
週六でバイトか。なんだか保志野家の事情の一端を垣間見た気がする。年齢を偽ってでもバイトをしたかったのはそういうことなのだろう。
「安心しろ。俺も平日は毎日バイトしてるし、土曜日も暇で暇でしょうがないんだ。毎日送れますよお嬢様」
「……ありがとう」
ああ、その笑顔は反則だ。そんなの見せられたら好きになってしまう。好きになったら俺がストーカーになってしまいそうだから慌てて窓の外に視線を逸らした。
その視線の先には妹がいた。
……ふん。まあ今回は感謝してやらないでもない。お前のおかげで高揚した気持ちが一気に冷めたんだからな。でももういい。見たくない。俺は視線を戻した。
「どうしたの葉野君。やっぱり嫌なの?」
「……違う。見たくないもん見ただけだ。気にすんな」
「?」
保志野も徳永さんも俺の見ていた方に顔を向ける。だが何を見て俺が気分を害したのかわかるはずもなく首をかしげていた。俺は見る必要のないメニューに目を落とし、ひたすらに気持ちが落ち着くのを待った。
「んじゃあ、帰るか」
「よろしく」
私服の保志野は制服よりも数段大人っぽく見える。
「こんなに遅くまでごめんね」
「遅くなったって言ってもまだ十一時、宵の口だろ。全然問題ねえし俺がやりたくてやってんだから謝られても困る」
「うん分かった。もう謝らない」
「分かりゃあいいんだよ」
俺たちはファミレスを出た。
暗い夜道。街灯が頼りなく夜道を照らしている。
「んで、どこで襲われたんだ」
「襲われたって、待ち伏せされただけだよ」
「襲われたんだ。いいからどこで襲われたか教えてくれよ」
「うーん、まあいいや。もうちょっと先だから直前に教えるね」
「ういっす」
俺はあたりを見渡し現在いる場所を確認してみた。
道を照らす光は少なくコンビニのような二十四時間営業の店もない。道は大きくなく人通りも少なめで、細い路地へつながる道が何本ものびている。ここはあまり安全な道だとは言えないだろう。
こんなところで待ち伏せされていたなんて、恐怖以外の感情は無かっただろうな。
「そういえば、あいつとはどういった関係? 名前とか、どこでどう知り合ったとか、なんか情報ないのか?」
「名前は名字だけなら。あの人は松木さん、お店の常連客だったんだけど、どういうわけか突然店内に入らずに外で私を待つようになって。最初は話しかけられることもなかったんだけど最近はちょくちょく声をかけるようになってきてた」
「ふーん。いつごろから待ち伏せを?」
「ひと月くらい前からかな。春休みを利用してバイトしまくってた時くらいから」
ふむ。常連客からストーカーになった原因を知りたかったがまだ情報が足りないな。
「その松木に何かしてあげた覚えは? 優しい言葉をかけてあげたとか、勘違いされるようなことを言ったとか」
「そんな覚えはないね。私はずっと普通に接客してただけ。何も勘違いされるようなことはしてないよ」
「普通に、ね。んじゃ俺がファミレスに入った時、その普通で接客してくれないか。なんかわかるかもしれないし」
「わかった。でも普通だよ? ちょっと無愛想かもしれないけど」
「それでいいからよろしく頼むぞい」
「分かった」
もしかしたら勘違いさせるような何かがあったのかもしれない。それが分かったからどうということは無いが、知らないよりは知っておいた方がいいだろう。
「あ、ここ」
保志野が立ち止りぐるりと見渡した。
立ち止まった場所は何の変哲もない道路。先ほどと大きさの変わらない普通の道路。街灯も等間隔で立っており明るさも変わっていない。唯一違うところと言えば広場のような小さな空き地が脇にあるくらいか。
「そこの電信柱に立ってた。街灯の下で、フードをかぶって」
空き地のすぐそばの電柱。今日は誰の姿も見えない。ストーカー業はお休みのようだ。
「ちょっと待てよ。もしかして、もしかしなくてもお前家知られているんじゃないか」
「え? どうして?」
「ここに来るまで何本も別れ道があったろ。でも男はここに立っていた。ファミレスからお前の家までのルートを知ってるってことだろ」
そんなこと微塵も考えていなかったのか顔の色が変わった。
「……つけられてたの? ……」
「無警戒で家に帰ってたのか。ちょっと危ないぞそれ」
「……で、でも、多分家は知られてないと思う」
「なんでそう思う。ここに立ってるってことはそう言うことだろ」
「……大まかな位置の目星はつけられているかもしれないけど、正確な家の位置は知られてないと思う」
「すごい自信だな。なんか根拠があんの」
「……うん」
言いづらそうに顔を伏せた保志野。何があるのかは知らないが聞かない方がよさそうだ。
「ま、そこまで言えるんならきっとばれてないんだろ。でも、帰り道はばれてるぞ。明日からは別ルートで帰るか」
「うん、そうだね」
結局その日に男が現れることは無かった。
そして家の手前、保志野は俺に手を振りまた俺に家を見せることなく別れを告げた。まあ、いいんだけどさ。
保志野を送り届けた後帰宅。とろとろ歩いたせいもあり十二時過ぎ。まだ早いが少し疲れた。家に入ろう。
鍵のかかっていないドアに手をかけできるだけ音をたてないように家に侵入する。
しかしそんなことは関係なかったようだ。俺はさっそく早く帰りついたことを後悔する羽目になった。
「……おかえりヒカゲ君。バイト?」
ちょうど居間から女が出てくるところに鉢合わせてしまったようだ。最悪だ。最悪だ。
「……何気安く話しかけてんの? バカじゃん。早く消えろよ」
「……もうちょっと早く帰ってきてくれたら、心配しなくて済むんだけど」
「はぁ? はぁあ? バカか? 他人のお前がなんで俺の心配すんの? てか、勝手に心配しといて、早く帰ってこい? 死んだ方がいいんじゃね?」
「私は、本当にヒカゲ君のことが心配なの。お願いだから、少しは私の言うことも耳に入れて」
「本気で心配だぁ?! だからあいつに俺を監視させてんのか?! ふざけんな! 俺はあいつのことが一番憎いんだよ! そんなやつにずっと見張られてて気分良い訳ねえだろ! 俺のことが心配? ならまず俺にケンカ売るのをやめやがれクソが! てめえの娘を俺に近づけるんじゃねえ!」
「……監視……。アカリにそんなこと出来るわけないでしょう……。ヒカゲ君は誰にも監視なんてされてないのよ」
「へえ、そうかいそうかい! そりゃあよかったねぇー! でもついてきてんのは事実だろうが?! あいつがけがする前に何とかしとけよ……!」
俺はうつむいたまま何も言わなくなった女の横を通り過ぎて二階へ向かった。